行列のできる法律相談所 - Wikipedia
『行列のできる法律相談所』(ぎょうれつのできるほうりつそうだんじょ)は、2002年4月7日から日本テレビ系列で毎週日曜日の21:00 - 21:54(JST)に放送されている法律をテーマにしたトークバラエティ番組である。通称は『行列』。モノステレオ放送、文字多重放送を実施。
キャッチコピーは『絶対に訴えてやる!』。レギュラー化される前は『守ってあげたい』。再現ドラマで日常のトラブルを提示し、「ここで損害賠償を請求できるのか?」などといった課題について司会者を始め、ゲストや弁護士軍団がトークを繰り広げる。
2002年にレギュラー化されて以来常に視聴者から安定した人気を誇るテレビ番組で、時間帯1位の視聴率をほぼ毎週獲得している。最高視聴率は、『24時間テレビ30 「愛は地球を救う」』の萩本欽一によるチャリティーマラソンが引き続き生中継で放送された2007年8月19日放送の35.3%であった[1]。裏番組で強力なドラマが放映される際は視聴率が下がる場合もあるが、それでも常時2桁台はキープしている。
[編集] 司会
- 徳島えりか(2代目秘書)
- 2011年10月16日放送の2時間半スペシャルにゲスト出演し、松本の後任となることが発表された。
- 2011年10月23日放送分から5週間は見習いとして松本と2人で番組を進行し、2011年11月27日放送分より正式な2代目秘書として出演している。
[編集] 準レギュラー
準レギュラーは月1、2回出演し「行列メンバー」と称される。また紳助引退後は、磯野貴理子を除く3名が代理司会(所長代理)を努めている。
- 東野幸治
- 本番組によって「チリチリ」というあだ名が確立され、「チリチリドリル」という技も誕生させた。紳助謹慎時には代理司会を務めた他、紳助引退後の2011年9月4日・10月16日(前半)・10月30日・11月13日、2012年1月29日・2月5日・2月19日にも代理司会を務めた[2]。だが過去に放送された中で、トーク中に話してるゲストの方へ向かずに、そっぽへ向いていることが発覚し挙句の果てには知ったかぶりをすることがあったため、紳助からは「問題児」と言われることがある。また、本番組出演の仕事を「ぱぁーと行って、笑っていればギャラが入ってくる」と思っている。
- 宮迫博之(雨上がり決死隊)
- ゲストとしての出演も何度かあり、石田純一の番組降板に伴い交代となる形で準レギュラーに昇格。主に東野不在の週及び恐妻家を取り上げる時に出演。東野不在時は東野と同じ後列最左の席に座る。紳助引退に伴い、2011年9月11日・9月25日・10月16日(後半)・10月23日・11月6日・11月27日、2012年2月12日・3月11日には代理司会を務めた[3]。
- 後藤輝基(フットボールアワー)
- 初めて準レギュラーがいない回に出演。それ以降、定期的に出演するようになった。紳助引退に伴い、2011年9月18日・11月20日・12月11日、2012年2月26日には代理司会を務めた。
- 磯野貴理子
- 本番組における紳助とのやり取りが評判となり、タレント好感度調査で上位にランクインするほど有名になった。また、紳助によって「貴理子る」という新語や「トークが嘘」といういじられキャラクターも確立された。元々、紳助とはほとんど接点がない関係だった(紳助が総合司会を務める1992年秋以降のTBS系列『オールスター感謝祭』に磯野が出演していた程度)が、本番組を開始するに当たりスタッフに磯野の準レギュラー起用を打診し、それが叶い磯野の番組出演が実現したとのこと。一時期磯野貴理に改名していたが2011年7月再改名した。磯野貴理時代も紳助及び多くの共演者には「貴理子」と呼ばれることがあった。
[編集] 代理司会
紳助の引退による降板に伴い、原則として東野・宮迫・後藤の準レギュラー陣が代理司会を務めている(上記)他、下記の3名も代理司会(所長)を務めた。
- 綾部祐二(ピース)
- 2011年12月4日放送分で代理司会を務めた。
- 明石家さんま
- 2012年1月15日放送の2時間SPと翌週の1月22日放送分で代理司会を務めた。
- ベッキー
- 2012年3月4日放送分で代理司会を務めた。
[編集] 史上最強の弁護士軍団
あくまで本番組内についてなので、詳細は各本人のリンク先を参照。なお、大渕を除く3名のキャッチコピーは、ナレーターの武田広が弁護士紹介をしていた頃に番組側が付けたものである[4]。
- 北村晴男(2000年3月 - )「法廷に笑顔はいらぬ、冷静沈着」
- 初期は、"冴え渡る明晰な頭脳、冷静沈着"
- 現在のレギュラー出演者の中で、唯一放送開始当初から出演している[5]。法律相談などでは一切笑顔を見せないスタイルを貫き、番組中でも滅多に笑わない。ただ最近では、少し笑顔を見せるようになってきている。丸山(現参議院議員)とは意見が対立するが、その掛け合いでは笑いがよく飛んでいる。本番組以外のレギュラー出演は「本業が優先」を理由に原則断っている。
- 大渕愛子(2011年11月 - )
- 大学在学中の1999年に司法試験に合格した才女。事務所の秘書に元タカラジェンヌの美夢ひまりを起用している。
- 菊地幸夫(2007年8月 - )「趣味はトライアスロン、知力と体力の鉄人」
- 丸山、橋下の不在時に4枠でピンチヒッターとして出演。レギュラーとなってからは、石渡真維と交代で出演し、石渡の降板後は毎回出演している。番組の企画であるトライアスロンにも参加し、2011年の佐渡島トライアスロンでは、行列出演者の参加者の中で唯一制限時間内での完走を果たしている。
- 本村健太郎(2007年7月 - )「役者としても活躍する異色の弁護士」
- 丸山、橋下の不在時に4枠でピンチヒッターとして出演。橋下が降板後はレギュラーとして出演している。
席は原則固定で、向かって左側の席から1枠・2枠・3枠・4枠である。
放送日 | 1枠 | 2枠 | 3枠 | 4枠 |
---|---|---|---|---|
2000年3月の特番 | 北村晴男 | 久保田紀昭 | 丸山和也 | |
2000年9月の特番-2003年3月23日放送 | 北村晴男 | 住田裕子 | 久保田紀昭 | 丸山和也 |
2003年3月30日のSP-2007年6月17日放送、2007年9月23日放送 | 北村晴男 | 住田裕子 | 橋下徹 | 丸山和也 |
2007年6月24日放送-2007年12月9日放送 (2007年9月23日放送を除く) | 北村晴男 | 住田裕子 | 橋下徹 | ピンチヒッター |
- 4枠のピンチヒッターには、後にレギュラーとなる菊地幸夫、本村健太郎も含まれている
1枠 | 2枠 | 3枠 | 4枠 | |
---|---|---|---|---|
パターン1 | 北村晴男 | 住田裕子 | 本村健太郎 | 丸山和也 |
パターン2 | 北村晴男 | 住田裕子 | 菊地幸夫 | 本村健太郎 |
パターン3 | 北村晴男 | 住田裕子 | 石渡真維 | 本村健太郎 |
上記の中では、パターン2が最も多い。パターン3は2008年3月9日~2011年7月3日まで。
1枠 | 2枠 | 3枠 | 4枠 | |
---|---|---|---|---|
2011年11月27日放送- | 北村晴男 | 大渕愛子 | 菊池幸夫 | 本村健太郎 |
また、紹介VTRには各弁護士のCGアニメーションが登場する(CGアニメーションが導入される前は、各人のモノクロの顔写真が入っていた)が、それぞれキャラクターに沿ったものとなっている(北村は笑わない、丸山は一升瓶を持っているなど)。時折、アニメーションが一定期間の間変更されることがある。丸山のマラソンの際は、一升瓶ではなく走っているアニメーション(服装も『24時間テレビ』のTシャツに変わっていた)、丸山のCDデビューが決定したときは、マイクを持ち、服装が着流しだった。住田がダイエットに挑戦したときは、服装がレオタードになっていた。
2006年12月10日放送分からはCGアニメーションがリニューアルされた。北村のCGは地団駄を踏みながら口から火を噴く、住田のCGはウィンクした目からハートが出てくる、橋下のCGは自身の子沢山ぶりにちなんで、7人の子供達のCGが登場し、丸山のCGは「行列-」で派生した「エクアドルのバナナ商人」のネタにちなんで、アロハシャツ姿に、バナナを食べてしまうアニメーションが追加された。
なお、丸山が不在時に出演する、本村と菊地のCGも2007年10月から登場した。本村は「めがねを外せば山崎邦正みたいに激怒するアニメーション」。菊地は「スーツを脱いでランニングシャツで完走するアニメーション」だが、ソーラー菊地弁護士と紳助に揶揄されてからは、スキンヘッドが光るCGになっている。
時計の動きの口径は何ですか[編集] ナレーション
[編集] 過去の出演者
[編集] 司会
- 島田紳助(所長)(以下「紳助」と表記)
- 相談内容を忘れているのは日常茶飯事。過去に「史上最強の弁護士軍団」の紹介の所を「史上最強の鑑定士軍団」(テレビ東京系列『開運!なんでも鑑定団』)と言い間違えたこともあった。また、冒頭の「行列のできる法律相談所へようこそ!」も勢いで言っているためかたまにとちることがあった。
- 本人は、「俺は法律番組の司会を頼まれてやっているだけ」、「一応法律を扱っていますので」「台本を読んでいなかった」と発言している。
- 「離婚なんて時間の問題」と発言したゲストが、実際に出演後に離婚したケースが数多くある。
- 政治家や女優、モデルなどの職業や立場に関係なく、下ネタや暴言を吐いている。熱愛報道のあったタレントに恋愛の話題に触たり、大橋のぞみ等の子役に対しても「ギャラいくら貰ったの」の話をしている。また、政治家の麻生太郎がゲスト出演した際には、参議院選挙の前に収録で「(選挙が終わったから言えますけど)自民党は大敗しましたよね」と麻生本人の前で発言した。
- 番組収録よりも競馬観戦を優先するために無駄なトークを省いたり、収録中に時間を気にしており、腕時計をチラチラ見ていた回数を番組スタッフが計算したところ、6年間で372回だった(2008年9月7日放送分)。また、「GIレースならGIが優先」(2006年の新春スペシャル)と公言しており、GIを見たいがために収録を早々と打ち切った事も2度あった。なお紳助の時間を気にする行動は直っていない。また、小倉優子は「紳助さんは合コン等の飲食があれば絶対に進行のピッチを上げる」と証言している。(2008年9月7日放送分)。
- 過去の京都スペシャルで「寺を使って料亭を経営」と発言したことで関係者が激怒し、その次の回の京都スペシャルでは紳助の発言をチェックするために責任者が同席することになった。
- 番組内で様々な悪行・暴言を繰り返した為、新春スペシャルで過去4度懺悔の滝で水を浴びる罰ゲームを受け、更に09年4月には「一日保育士」の罰ゲームが決定。
- 「御飯のお供スペシャル」などの食べ物が出てくる企画では、基本的に提供者に遠慮せず好き嫌いをハッキリ言う立場を貫いている。これは番組で不味いと思った商品まで無暗に褒めてしまうと視聴者がお金を出して買ってしまうという懸念によるものである。
- 2011年8月21日の放送後、暴力団関係者との交友事実発覚を受け引退。本番組も降板した[6]。
- 松本志のぶ(秘書)
- 2009年3月まで日本テレビアナウンサーだったが、40歳を迎えることなどを機に日本テレビを退社し、2009年4月からはフリーアナウンサーとして本番組へ出演を継続していた。
- 2011年8月21日の放送で妊娠を明かし、11月20日の放送を以って住田と共に番組を降板し、出産・育児の準備に入った[7]。
[編集] 準レギュラー
- 円広志
- 行列メンバーだったが、大物タレントの失言を理由に降板となった(関西ローカル番組にて自ら告白)。準レギュラー出演していた際は『夢想花』の一発屋歌手であることや民家の洗濯物を観察する趣味がある事を紳助に弄られていた。ただし、準レギュラー降板後も、2007年10月7日SPの行列ドラマ「裁判員制度、もしもあなたが裁判員に選ばれたら?」、一発屋歌手・芸人を集めた2008年6月22日放送分、行列放送300回突破記念の2008年8月31日放送分など不定期に出演している。
- 松澤一之
- 昔から紳助との親交が深い。紳助の過去の女性関係にも詳しく、爆弾発言が飛び出すことも。なお、本人は「バラエティはドラマと違って、自分で喋らないとカメラが回ってこない」という理由であまりバラエティ番組に出演することが好きではなく2006年の新春SP以降、出演していない。
- えなりかずき
- 番組開始時から2003年3月頃までに出演。降板後も年に1、2回のペースでゲスト出演。また、2007年10月7日SPの行列ドラマ「裁判員制度、もしもあなたが裁判員に選ばれたら?」の主人公を演じている。
- 石田純一
- 出演時には「イケメン席」に座っていることが多い。ただ、後列のバラエティ席に座る事もよくある。長谷川理恵との破局を紳助が番組に本格復帰した2005年1月9日放送分で初めて語った。紳助からは三度結婚していることもあり女性関係で弄られることが多い。東尾理子との婚約を報じられた際には、紳助や番組側から「断固反対!」の立場を取られ続け、正式に結婚をした頃に番組を降板した[8]。
[編集] 史上最強の弁護士軍団
- 久保田紀昭(2000年3月 - 2003年3月・後任は橋下徹)「親子二代で弁護士、まさに六法全書の申し子」→「父から受け継ぐ弁護士魂、六法全書の申し子」
- 噂の真相の報道を巡り、2003年3月をもって「もう潮時」「本業に専念する」との理由で降板。
- 丸山和也(現参議院議員)「英語も喋れる国際弁護士、法に魂を込める男」(2000年3月 - 2007年9月)参議院議員当選後、国会活動優先のため出演はほとんどしていない。)
- 初期は"英語ペラペラな国際派にして、お酒大好き"、"お酒にゃ強いが涙にゃ弱い、義理と人情"、"英語も話せる国際派、法に魂を込める男"。参議院議員当選後の出演時はキャッチフレーズが"自民党参議院議員"となる
- 人情論を主張し、北村とは対照的に説得力に欠ける意見を連発する弁護士であり、時に出演者から「本当に弁護士ですか?」と聞かれた事がある。意見が対立する北村と人気1位2位を争う弁護士である。
- 番組で2005年24時間テレビのマラソンに挑戦する事を発表し、100kmを完走した。また、翌年の2006年には番組の計らいによりCDデビューも果たした。
- 橋下徹(現大阪市長/前大阪府知事)「法廷に新しい風を吹き込む、茶髪の風雲児」(2003年4月 - 2007年12月/大阪府知事選および当選後は、知事としての職務のためほとんど出演していない)
- 大渕が出演するまでは、弁護士軍団の中では、最も若い弁護士であった。橋下の主張が他の3人と異なるケースが多く、「皆さんの意見は古い」などと言って新しさを求めるような形で流す事が多い。また、明らかにウケ狙いの意見を言って人を笑わせようとする事がよくあるが、丸山とは対照的に発言にトゲがある。
- 石渡真維(2008年3月 - 2011年7月)
- 菊地幸夫弁護士と交代制で不定期出演していた。夫がシンガポールへ転勤した為、番組への出演が困難となり、2011年7月3日放送を最後に番組を卒業。
- 住田裕子「東大出身のママさん弁護士、法律の母」(2000年9月 - 2011年11月)
- 初期は、"豊大な知識を優しさで包み込む、法律の母"と、"東大出身のママさん弁護士、心優しき法律の母"
- 主にセクハラなどの女性の立場の問題での法律相談においては、他の弁護士よりも住田の意見が採用される事が多い。女性に有利な意見ばかりを述べるわけではなく、女性に批判的な意見を述べることもある。また、本村の見解に同意しつつも説得性がないため、代弁していた事もしばしばあった。
- 番組内で住田のダイエット企画が実施されたことがあった。
- 2010年に立ち上げた特定非営利活動法人「長寿社会の安全安心な暮らしを実現する会」の活動に力を入れるため、11月20日の放送を以って松本志のぶと共に番組を卒業した。
弁護士は4人がレギュラー出演しているが、彼らの判断が一致することは稀である。同じ課題に対しても「これは離婚できます」「離婚はできません」などと正反対の判断が下されることが珍しくなく、たとえ結論が一致していたとしても、根拠が全く違うことも多い。
これまでの法律バラエティ番組は一人の弁護士が断定的に判断を示すというスタイルのものばかりで、「法律は明確な結論を出すものである」などという法律の実態とはかけ離れたイメージを視聴者に与えてしまいがちであるという問題があった(現実では裁判で毎度争われ、控訴審で判決がひっくり返ったりするように、法律の解釈や適用次第で大きく差異が出ることは全く珍しくない)。それらに対し、本番組の「複数の弁護士がそれぞれの見地と解釈から判断を示し、その判断がしばしば食い違うところを見せる」という構成は、法律の限界やむずかしさを提示する新しいスタイルである。
ただ、バラエティ番組という性格上の制約から、法律解釈についてあまり突っ込んだ議論がなされるわけではない。個々の弁護士の(こうあるべきという)意見的解釈と、判例等に基づく法曹界の一般的解釈が、区別されずにトークされることも多い。また、バラエティ番組の性格上、個々の弁護士が次第にウケ狙いに走る傾向を見せていることなどから、法律解釈のバリエーションや法律論争の真髄からは離れ、当初鮮やかであったこの特異性は薄れた。特に、これらの傾向は橋下徹、丸山和也のタレント化によるものが大きい。
また、橋下徹は自民党・公明党支持のもと大阪府知事に、丸山和也は自民党参議院議員になり、北村晴男は総裁選において麻生太郎を応援演説するなど、出演弁護士に保守系マスコミの日本テレビと主張が近い自民党支持者が多いのが特徴である。
番組の性格の変化などから、教養番組として見ようとするには難しいと言え、法律番組ではなく、むしろ法律も一部扱っているトークバラエティ番組とみなされることが多い。番組名には『法律』と付けられているが、実際には司会とパネラーの法律とはほぼ関係のないトークにほとんどの時間が割かれており、2007年後半以降は法律相談が1件しかない(法律をテーマとしたための措置と思われる)。かつては、紳助自身も番組のトークの中で「これは法律番組ではありません」と発言し、法律番組であることを否定していたが、2008年に入ってからは法律番組であることを公言したため、番組のスタンス自体が一定していない。紳助司会時代末期では紳助が「一応法律番組なので、法律一個やります」と発言することが恒例だった。
本番組のもう一つの特徴はゲスト達のトークで、司会の盛り上げるトークタイムが番組の大半を占めている。磯野貴理子、東野幸治などといった準レギュラー出演者はもちろん、ゲスト出演者も初代司会者の紳助にとことんまでこき下ろされてしまい、出演者同士も互いに毒舌を浴びせあい、さらに弁護士陣の一部まで話に参加させられている。結果、新番組など告知・宣伝で出演するゲストが限定されており、定期的に番組宣伝のため出演するゲストは沢村一樹、片瀬那奈、山田優程度である。その反面、視聴率の高さや司会が紳助であったことから旬のお笑いタレントが出演することが多く、紳助は「芸人の見本市」と称していた。また、紳助が若手芸人にアドバイスをすることも多く、「芸能界で生き残る方法を教えてくださいSP� �が放送されていた。
ゲスト席前列4席は司会席に近い側から順に「オジさん(大物)席」・「女性タレント(オバさん)席」・「イケメン席」・「アイドル(キレイ系)席」、後列は「お笑いバラエティ系席」となっている(例外あり)。過去に、岸本加世子が「アイドル席」に座ることを希望したが、番組側から拒否され「オバさん席」に座らされたこともある。
公式サイトにある「いい事しようプロジェクト」ではトラブル(法律相談)以外の相談者の募集も行っている。
これまで本番組と同時間帯で唯一同じくバラエティ番組を放送していたフジテレビが2010年10月以降、当該時間帯をドラマ枠(『ドラマチック・サンデー』)に切り替えたため、当該時期より同時間帯で唯一のバラエティ番組となっている。
日本PTA全国協議会による「青少年に見せたくない番組」では平成18年度以降5年連続してランクインしており、平成22年度に8位まで上がっている(平成18年度・24位、平成19年度・同率18位、平成20年度・同率15位、平成21年度・同率19位、平成22年度・8位)。
[編集] 番組の特徴・コーナー
本番組がプライムタイム・レギュラー放送で始まったのは2002年4月7日だが[9][10]、実際の放送開始は2000年3月26日の午後1時半から90分の特番で放送された『日テレ式法律バラエティ・守ってあげたい』である。初回のキャッチコピーは「守ってあげたい」で、弁護士軍団は北村、久保田、丸山の3人だった。不定期に特番として放送していたが(特番時のタイトルは『絶対に訴えてやるぞ!!芸能人VS弁護士軍団・大爆笑!法律バトル』だった)、好評だったためレギュラー番組に昇格した。スタジオのセットも白を基調としていた。弁護士人気の発端的番組。
本番組には時間枠を拡大する特別番組でない場合も毎週「~スペシャル」といったサブタイトルをつけている。同局のスタッフが共通する『深イイ話』や『ザ・世界仰天ニュース』にも用いている。
2007年以降の国政選挙施行日の選挙特別番組『ZERO×選挙』放送時は、当然本番組は休止されるが、紳助がそちらのメインキャスターを務めていた。
法律相談の再現VTR終了後には、要点や論点を振り返る「ポイント整理」がある。「ポイント整理」は当初は4つの項目に分けてあったが、現在は、法律相談の再現VTRを2-3項目にまとめている。(厳密には、2004年春頃から項目は3つになり、さらに2005年7月頃からは主に2つとなっている。スペシャルでは2003年9月以降ポイント整理はなかったが、2005年10月から復活した)。
トップグリーティングカードライター2007年12月までは毎回オープニングに「誰もがはまる法律の落とし穴」というクイズコーナーが放送されていた。ここではパネラーのうち1人が指名され法律クイズに挑戦する事になっていた。指名される人は初登場のパネラーである事が多かった。なお、相談者や相手が怒ったり、切れたり、激怒し「訴えてやる」と啖呵をきる場面も特徴だった(後にそのシーンはあまり見られなくなった。)。2008年以降は不定期に通常の相談を休んで、弁護士軍団が監修した法律クイズにその日のゲスト全員が挑戦する法律の落とし穴スペシャルが、年に数回放送されている程度になっている(落とし穴スペシャルのタイトルは毎回変わる。)。一時期、エンディングで法律に関する疑問に弁護士軍団が答える「教えて!弁護士軍団」のコーナーも放送� ��れていた。2009年10月18日放送から法律相談のコーナーは「こんな時どうすればいいの?」にリニューアルされたが、1年ほどで元に戻る。現在は法律相談と交互に弁護士軍団がテーマに基づいたユニークな法律を紹介するコーナーが設けられている。
本番組のスタッフの多くは、同局でかつて放送されていた『謎を解け!まさかのミステリー』、特番として放映されている『ニッポン人が好きな偉人ベスト100』、2008年2月から放映される『人生が変わる1分間の深イイ話』、そして2008年11月13日放送のモクスペ『行列のできる芸能人通販王決定戦』にも携わっている。その証拠に『深イイ話』には2008年5月12日放送分と同年9月8日放送分で、本番組の出演者が出演し、コラボレーションを行った。さらに、6月8日放送分はエンディングではエンドロールと共に、翌日の『深イイ話』の予告も行っている。また、『通販王』に至っては本番組のセットをそのまま使っていた。
また、紳助が司会を務めたABC『クイズ!紳助くん』を本番組スタッフが「スカイ・エー」を通じて視聴しており、(主にグラビアアイドルの)ゲスト人選をする際、『紳助くん!』のゲストを参考に選出することもあるという。(『紳助くん』内での紳助の発言による)。そのためか、本番組のゲストにたいぞう(関西の若手芸人)が出演したり(2005年1月30日放送)、番組中に『紳助くん』から借りてきたVTRが流れることもある。
不定期でスタジオを飛び出しての全面ロケ企画も放送している。
[編集] フジテレビ系列『ザ・ジャッジ』との抗争
本番組がレギュラー化される前の2001年10月に放送が開始されたフジテレビ系列『ザ・ジャッジ! 〜得する法律ファイル』(後の『ザ・ジャッジEX』、2005年3月終了)も同じく法律相談を扱った番組で、非常に内容が似通っていた。そのため、日本テレビ側が編成部長の土屋敏男名で抗議文を送るなど、同局との間で「パクリ抗争」が勃発していた。
当時日本テレビ社長の萩原敏雄は、本番組のレギュラー放送開始を発表した当時の定例会見で「パクられたからと言って、ガタガタ言っても仕方ない。パクった方よりいい数字で勝てばいい」とコメントしており、本番組レギュラー放送は事実上、日本テレビがフジテレビの『ザ・ジャッジ』に挑戦状を叩きつけるような形で開始されている[11]。
[編集] 有名人100枚の絵でつなぐ カンボジア学校建設プロジェクト
2007年の年末頃の放送で紳助のトークから企画が始まった。趣旨としては、カンボジアでは貧困で学校の校舎はボロボロで、教科書も3年生までのものしか与えられないという、劣悪な教育状態の中子供達がそれでも楽しく貴重に勉学に励む姿を見て、行列メンバーは勿論、各界の著名人約100人が描いた100枚の絵(など)を出品してもらい、一般視聴者の中から選ばれた人たちによるチャリティオークションを行って、その経費を引いた利益で新校舎を建てようというものであった。また、この手のチャリティー企画にありがちな、オークションを行って学校を建てて終わりというものではなく、その後も不定期ではあるが近況報告等が番組内で継続的に行われている。第二弾はカンボジアで農業を伝える事で貧困から脱却するプロジェク� �。
- 100枚の絵の多くはポストカードにして一般に販売されたり、展示されたりしていた。
- 2008年5月11日-5月25日の3週間の3放送は、通常の法律相談ではなく、上記のカンボジア学校設立の為の資金として各界著名人の描いた絵を売って募金するオークションの模様を放送した。5月11日の視聴率は26.4%と近年のバラエティ番組としてはかなりの高視聴率をマークした。しかも、予想以上の高値で買い取られた絵もある。最終的な買い取り総額は46人で5076万2000円。最高額は紳助の絵で500万円だった(一部の放送は『日テレ55周年特別番組』として別番組扱いで放送された)。
- 11月23日の放送では、実際に建った学校が紹介され、校章として吉田すずかの図案のアクビちゃん調のキュートなイラストが校舎の壁に掲げられていた。
- テーマソング:一青窈『はじめて』
- オープニングアニメーション:吉田すずか[1]
[編集] 出品作品
第1弾出品作品、第2弾出品作品も参照。
どのようにダイヤモンドを選択する出品者 | 作品名 | 内容 | 落札金額 | 放送日 |
---|---|---|---|---|
北村晴男 | カンボジアの子供達 | 30万円 | 5月11日 | |
住田裕子 | 真実 | 30万円 | ||
菊地幸夫 | ラッキーの生命 | 30万円 | 5月25日 | |
本村健太郎 | 夢に向かって一直線に走れ! | 鉛筆画のSL。ほかの弁護士軍団よりも高く値段がついている。 | 59万円 | 11月16日 |
石渡真維 | 私に勇気をくれる花・ハナミズキ | 不安な気持ちで臨んだ初出廷の際に、裁判所に咲いていたハナミズキを見て勇気をもらったのでそれを題材にした作品。 | 160万円 | 11月23日 |
アグネス・チャン | しあわせの花 | 75万円 | 5月11日 | |
池田理代子 | 「ベルサイユのばら」のオスカル | 235万円 | 5月25日 | |
石坂浩二 | 赤いマリオネット | 200万円 | 5月11日 | |
石田純一 | 母 | 31万円 | 5月25日 | |
石原良純 | キリマンジャロ | |||
上戸彩 | いつも自分にパワーをくれるもの | 50万円 | 5月11日 | |
楳図かずお | 復活 | 115万円 | 5月11日 | |
AKB48 | KIZUNA | |||
榎木孝明 | 春を待つ | |||
蛭子能収 | みんな一緒に生きてるぞ! | |||
及川正通 | 天使の羽根を持ったギャング「島田紳助」像 | |||
押切もえ | そばにある愛 | |||
片岡鶴太郎 | 仔猫 | |||
神木隆之介 | 愛~満ちる地球~ | |||
加山雄三 | チャッピーのお母さん | |||
川崎のぼる | 熱く燃える男・星飛雄馬 | 180万円 | 5月11日 | |
岸本加世子 | JORI (ジョリ) | 40万円 | 5月25日 | |
木山裕策 | 「home~家族と見た夕焼け~」 | 木山のデビュー曲「home」の歌詞からイメージし製作。後日、落札者宅へ木山が作曲者多胡邦夫と共に訪問。ギター1本でのhomeを生歌で披露した。 | 50万円 | 5月11日 |
工藤静香 | パープルの風 | 300万円 | 5月25日 | |
小島よしお | 新・小島よしお | |||
沢村一樹 | 息吹 | |||
加藤和也 | さくら | 母美空ひばりが病気療養中に描いた絵の中の一つを提供 | 480万円 | 5月11日 |
やくみつる | カンボジアで一番のスマイル | 30万円 | 5月25日 | |
安田美沙子 | 人生で一番幸せな絵 | |||
YOSHIKI | Forever Love | オークション会場のみの公開 | 360万円 | 5月18日 |
吉田すずか | 世界の子供たちに夢を! | タツノコプロの人気キャラクターを描いた | ||
リア・ディゾン | The Source of Vitality (元気の源) | 30万円 | 5月25日 | |
misono | 笑顔のなる木 | 38万円 | 5月11日 | |
ベッキー | 虹色で描く愛 | 50万円 | 5月25日 | |
藤子不二雄A | ハットリくん!カンボジアへ飛ぶ! | 75万円 | 5月11日 | |
フィフィ | 魔除けの顔拓 | フィフィ自身の顔にシュール調になるように、絵の具を塗り魚拓ならぬ顔拓にしたもの | 8万円 | 5月11日 |
久本雅美 | 希望 | |||
島田紳助 | 子供の頃の道 | 引退発表を受け、ホームページ上から作品の画像が消去されている | 500万円 | 5月25日 |
たいぞう | 力強いカンボジア | 320万円 | 5月25日 | |
髙田延彦 | 花道から見たリング~ | 36万円 | 5月11日 | |
高橋英樹 | 役者としての自分を見守り続けてくれた桜 | |||
地井武男 | バラ | 31万円 | 5月11日 | |
ちばてつや | あしたのジョー | 220万円 | 5月11日 | |
中尾彬 | ヴェネチア'98 | 80万円 | 5月25日 | |
中島誠之助 | 飛魚 | 5万円 | 5月11日 | |
にしおかすみこ | 竜宮城 | 30万円 | 5月25日 | |
萩本欽一 | スレイナの学の道 | 200万円 | 5月25日 | |
原哲夫 | 希望の種 | 『北斗の拳』ではあまり見られない微笑んでいるケンシロウのペン画[12]。 | 350万円 | 5月25日 |
磯野貴理子 | 空飛ぶヤギ | 夢で見た空飛ぶヤギのイメージを描いたが、多数の不遇が重なり、本プロジェクト最安値となった | 2000円 | 5月11日 |
吉田すずか | スレイナちゃんの夢 みんなの学校 | 360万円 | 11月23日 | |
ボビー・オロゴン | 自然とボクら | 動物を描いたティンガティンガ | 170万円 | 11月23日 |
譚小勇 | 学校へ~世界名作劇場より~ | 250万円 | 11月23日 | |
西尾由佳理 | 小学校のイチョウの木 | 母校のイチョウの木を描いた | 160万円 | 11月23日 |
辛坊治郎 | 廃材と流木の子供椅子 心からのキスをあなたに! | 廃材を利用した椅子(立体作品) | 75万円 | 11月23日 |
羽鳥慎一 | マンタとの出会い | 吹きつけ技法で描いたマンタの絵 | 60万円 | 11月23日 |
大橋のぞみ | たのしい時間 | 愛犬を描いた。また、出品者が小学生ということで10万円で落札決定とすることとなった。 | 10万円 | 11月23日 |
矢口高雄 | キャスト | できばえのあまりのよさに作者が「手放すのが惜しくなった」という品 | 250万円 | 11月23日 |
要潤 | EXcite | 105万円 | 11月23日 | |
ミルコ・クロコップ | 生家~希望の家~ | 80万円 | 11月23日 | |
野村克也 | 月見草人生 | 揮毫三点。自分自身の代名詞「月見草」から題材に選んだ | 200万円 | 11月23日 |
安斎肇 | カボチャ王子 | カンボジアをカボチャと聞き間違えて生まれた作品[13] | 120万円 | 11月23日 |
市原隼人 | 理由 | 70万円 | 11月23日 | |
うるまでるび | Happyland | 200万円 | 11月23日 | |
村尾信尚 | プランE | 40万円 | 11月23日 | |
小林麻央 | し・あ・わ・せ | たくさんの花を卵殻モザイクで描いた | 120万円 | 11月23日 |
亀田興毅 | 赤富士 | 味のある富士山を描いた | 155万円 | 11月23日 |
亀田大毅 | 弁慶 | ボクシンググローブの右手側に弁慶を描き、左手側にサインを書いた | 110万円 | 11月23日 |
吉沢やすみ | みんな仲良く! | ど根性ガエルのピョン吉やひろしなどのキャラクターを書いた作品 | 220万円 | 11月23日 |
藤城清治 | カンボジアに幸せを | 影絵芸術の第一人者。カンボジアの国旗をイメージした構図の中にその子供たちを描いた。 入札まえにデヴィ夫人が300万円で買うと宣言した結果、それを上回る価格になった。 | 450万円 | 11月23日 |
金子貴俊 | 森の叫び | 20万円 | 11月23日 | |
若槻千夏 | みんな笑っとけ | 85万円 | 11月23日 | |
たいぞう | 感謝~愛の贈り物~ | この作品と落札者をイメージした作品 | 300万円 | 11月23日 |
宮﨑大輔 | 手をつなごう | ハンドボールのボールに彩色した立体作品 | 50万円 | 11月23日 |
フィリップ・トルシエ | 戦略図 | 絵の苦手なトルシエ監督が描いたサッカーの戦略図に着色をしたもの[14]。 | 70万円 | 11月23日 |
エドはるみ | 翔べるかも! | 多くの人が描かれているが、みんなエド・はるみの「コォー!」のポーズを取っている絵 | 100万円 | 11月23日 |
チェ・ジウ | サラン~愛~ | 230万円 | 11月23日 | |
春風亭小朝 | 「昔から小さん」と「桃色の人間国家」 | 真打ちに昇進させてくれた恩人柳家小さん師匠を描いた | 70万円 | 11月23日 |
一青窈 | 鉢合わせ~everything in a pot | シングル『はじめて』のジャケットデザインにも使用された絵。磯野貴理が落札した。 | 290万円 | 11月23日 |
新庄剛志 | Shinjo is Shinjo | 青空・夕空・夜空をモデルに描いたエアブラシアート(エアブラシを使用した絵画)作品。 | 300万円 | 11月23日 |
つるの剛士 | LOVEMANがやってきた | 昔に制作し自宅に飾っていたもの。飾ってから仕事運がよくなったことから、落札者に開運の願って出品。 | 270万円 | 11月23日 |
中山秀征 | 夢街道 | 書道師範の資格を活かし書画を掛け軸にして出品。紳助曰く「鑑定団的には掛け軸で100万円を超えると知っている画家の作品が買える」、 石坂浩二曰く「(掛け軸で)100万円以上なら、横山大観の作品が買える」と高額落札に釘をさしたが、200万の値がついた。 | 200万円 | 11月23日 |
やなせたかし | 紅葉の中のアンパンマン | 紅葉の中アンパンマンキャラが登場するイラスト。絵画として描かれたもので、やなせの原画が初めて他人にわたる。 | 420万円 | 11月23日 |
東野幸治 | スマイル | 子供の写真を描いたが、紳助に「現代アート」といじられた。 | 100万円 | 11月23日 |
松本志のぶ | 宮古島の空 | 125万円 | 11月23日 | |
手塚治虫 | 鉄腕アトム ブラック・ジャック リボンの騎士 ジャングル大帝 着色原画 | 「鉄腕アトム」「ブラック・ジャック」「リボンの騎士」「ジャングル大帝」の原画をプリントし虫プロのアシスタントが着色したもの。レプリカとしては破格の値。 | 510万円 | 11月23日 |
アントニオ猪木 | 道 | 自身の詩「道」を書いた毛筆書 | 300万円 | 11月23日 |
わたせせいぞう | 「4511kmの恋 旅立ち~遥かなる夢」「幸福せへの第2章」 | 吉田すずかに技術指導を受けて制作したイラスト画。わたせの作品ではじめて売却された。 | 510万円 | 11月23日 |
長渕剛 | 不動明王 | 巨木の切り株に描いた不動明王の絵で、本プロジェクトの締めとなった最後の作品に相応しく最高値となった作品[15] | 800万円 | 11月23日 |
[編集] 東野幸治の石垣島トライアスロン結果と 行列チームの新たなる挑戦
菊地幸夫弁護士の趣味がトライアスロンであることから、東野も紳助に言われて2009年4月26日の石垣島トライアスロンへ挑戦する事になった。その模様は2009年5月31日に放送された。
応援としてわたせせいぞうがイラストを担当し、応援ソングとして東野が好きな佐野元春の「SOMEDAY」としたが、佐野に曲を使う許可を取っておらず、初期は曲名の下に「東野が勝手に決めたテーマソング」と出されていた。後に佐野本人が事務所を通じてビデオ出演し、最終的に清正公で許可してもらった。現在の佐渡ヶ島トライアスロンでは「東野が大好きな曲」と出されている。途中から本村健太郎弁護士も加わって、東野、菊地弁護士と一緒に挑戦した。
なお、地元の沖縄県では、日本テレビの系列の放送局がないため2週間後の6月14日9:00~9:54に沖縄テレビで放送された。また、地元の新聞に沖縄テレビが広告として掲載し、この石垣島トライアスロン大会の内容を掲載していた。沖縄テレビのホームページにこの時の視聴率が掲載されている。
また、大会を生中継した地元の石垣ケーブルテレビでは東野が出演するCMを前日に放送した。
- 石垣島トライアスロン大会(水泳1.5km・自転車40km・マラソン10km)
- 2009年4月26日開催 大会結果 - 参加者1260人中
- 東野幸治 - 283位
- 目標順位を半数の630位以上とし、目標達成。これがきっかけで第10回ベストスイマー賞を受賞する。
- 菊地幸夫 - 447位
- バイクで走行中、ゼッケン装着を忘れてスタートに戻るハプニングが発生。「河原コーチが(以前参加した大会で)レースあきらめなかったんだから、俺だってあきらめるわけにいかないんですよ!」と叫び、ハプニングを乗り越えて完走した。
- 宮古島トライアスロン(水泳3km・自転車155km・マラソン42.195km)完走について。番組とは関係ないが、菊池のみ、この石垣島の一年後、2010年4月18日、宮古島トライアスロンに参加して完走した。翌月5月23日『行列ができる法律相談所』でこの完走が報告された。この時、紳助の挑発にゲストの高田延彦がのる形で、高田のトライアスロン挑戦が決まった。
- 本村健太郎 - 917位
- スタート前から不安を隠せなかったが、気力で乗り切った。しかし、後の放送で走行で見せた疲れはTV受けを狙った芝居であり、実際は余裕が残っていたことが明らかにされ、罰ゲームとしてボランティア活動をする事とになった。
なお、番組とは無関係だが、この大会には近藤真彦とヒロミ(ともに行列ゲスト出演歴あり)も出場していた。
- 行列チームの新たなる挑戦
- アイアンマンより長く、また夏の炎天下での開催から、最も過酷と言われる佐渡国際トライアスロン大会(*)への2011年9月4日の出場を目指して、2010年8月、トライアスロンクラブを作る。会員は東野、菊地、高田延彦、安田美沙子、石井慧、ノッチの6人であったが、高田が以前から痛めていた首の診断をした際、医者からドクターストップを掛けられリタイアとなったが、出演者は「本当は出たくないんじゃ」とかなり怪しんでいた。だが、紳助の電撃引退によって今回メンバーの参加が危ぶまれていたが、予定通り出場する事が発表される。また、2011年10月16日放送分では、石井が練習中の怪我でドクターストップが掛かった事も明かされた。
- また、その模様は10月23日~11月6日の3週に渡って放送する。
- 東野が佐渡に来た際は、日本テレビの系列局であるテレビ新潟の取材を受け、そこで番組CMも製作されて実際に流された。
- (*) 5人が参加するクラス、Aタイプ(750名)、水泳3.8km・自転車190km・マラソン42.2km、制限時間15時間30分(午前6:00スタート - 午後9:30フィニッシュ)
- コースレイアウト上、自転車のみ、アイアンマンより10km長くなっている。(アイアンマン、制限時間17時間、水泳3.8km・自転車180km・マラソン42.195km)
- 出場者数2.000名 ⇒ (Aタイプ750名・Bタイプ750名・Rタイプ450名・日本選手権50名)で、宮古島・石垣島の大会とともに最大規模の大会の一つで、毎年9月第1日曜日、新潟県佐渡市で開催される。[16]
- インターネット・ライブ(中継)が、毎年、レース当日にあり、早朝6:00スイムスタートから、夜21:30レース終了・花火打上まで16時間ネット観戦できる。大会当日(2011年9月4日)、公式ホームページより視聴可 [2]。
- 「Aタイプ」の完走率は、記録から、過去84〜87%程で推移しているが、猛暑となった2010年大会(9月5日)では、気温に加え、例年にない海水温の高さから(28.0℃午前6時スタート時(過去平均25.0℃))、途中で給水できないスイムパート(ウェットスーツ着用義務有)では熱中症ぎみになる選手も少なくなく、完走率は77%に下がった。2010年のAタイプは、ほぼ4人に1人が脱落するという同大会史上最低の完走率となっている。
- 尚、この佐渡のコースでは、1998年9月5日アジアで初めて、世界各地を転戦するITU(国際トライアスロン連合)のロングディスタンス・トライアスロン世界選手権が開催された([3])。世界の主要プロ選手がそろったこの時の世界選手権で、志垣めぐみが、日本人として初めてメダル(3位)を獲得した地でもある。[4]
[編集] 気の毒な夫No.1決定戦
「気の毒な夫」恐妻家タレント(スポーツ選手も含む)の恐妻エピソードを披露して、最も恐妻の夫を選ぶコンテスト。恐妻家タレントの他、最終審査員として若手女性タレント(出演するのは独身者であるが、既婚の辻希美が審査をしたり、男性ゲストとのコンビで審査したこともある)がゲストとして出演。
主な出演者はオール阪神、河本準一(次長課長)、宮迫博之(雨上がり決死隊)、ノッチ(デンジャラス)、阿部祐二。2010年9月26日放送の2時間SPから石田靖が加わった。最近はなぜか離婚後の磯野貴理も出演している。
- 出演者の恐妻エピソードを再現VTRとスタジオトークで披露。それを弁護士軍団により、誰が離婚に至る可能性が最も高いか判断を下し、それらを踏まえて女性ゲストが「気の毒な夫No.1」を決める。No.1には格闘技を模した「チャンピオンベルト」が贈られ、セット後方にベルトを付けポーズを取った写真が飾られる。
- 番組途中で出演者のうち誰かの妻(スポーツ選手の妻が主に出演する。お笑い芸人の妻も稀に出演する[17]。)がスタジオに登場(紳助は当初「公開処刑」と呼んでいた。)する(本人には、知らされていない。)。中でもノッチの妻(佐藤友美)は一般人でありながら必ず出演する[18]。
- 2010年9月26日放送の2時間SPでは、ノッチの自宅に小型カメラを設置して、家庭の様子と夫人から鉄拳(髪をひっぱられるなど)、罵声を浴びせられる光景のVTRが映し出され、ノッチの恐妻ぶりが披露された。
- 元プロサッカー選手の本田泰人もこの企画に参加していたが、2009年秋に離婚。弁護士軍団から「本田さんから申し出れば簡単に離婚できますよ」と言われる程だった。2011年には同様に番組に参加していた石井慧も離婚した。
- 当初は不定期にレギュラー枠で放送していたが、現在は特番で放送されている。
- 現在では出演者紹介の際、プリンス「Endorphinmachine」(フジテレビK-1中継テーマとしてお馴染みの曲)のイントロが流れ、出演者が「気の毒な夫川柳」を詠んでスタジオに入っている。
[編集] 歴代優勝者
[編集] 困ってる先輩にいくらお金をだすか?
- 先輩芸人(河本準一・宮迫博之・磯野貴理子等)が後輩芸人に対して理由を言わずに借金を頼むという、暗に後輩が先輩にどれ位の価値を示すのかというドッキリ企画。
- トータルテンボス藤田憲右は河本に500万、インパルス堤下敦は宮迫に100万、NON STYLE井上裕介に至っては磯野に1000万円貸すと言っている。しかしオリエンタルラジオの藤森慎吾は、河本に15万円と現実的な金額を提示、河本も一瞬「えっ?」と思わせる程のドケチだった為、以後藤森が番組に出る際はネタにされるようになる。
[編集] コラボレーションCM
- 2009年10月より2010年1月まで番組スポンサーのひとつであるタイガー魔法瓶とのコラボレーションCMを放送していた。
- これは6月28日放送分で「私たち結構頑張ってるのになぜかCM出演ゼロなんですSP」としてCM出演が1本もないタレントがゲストとして集まり、企業にアピールをした結果、タイガーがそれに答えて陣内智則(タイガーのCMを希望していた)と磯野貴理を番組内で流す「土鍋釜・黒」CMキャラクターとして起用して実現したものである。ナレーションも武田広が担当している。
[編集] ロシナンテス関連
- 2010年2月7日に活動が取り上げられた。川原尚行理事長がスタジオに出演。
- きっかけは紳助が朝日新聞の記事でロシナンテスの活動を目にしたことであった。ちなみにその記事は偶然にも紳助の娘の友人が担当したものであった。
- 2010年5月2日放送においては、本田泰人(川原理事長と同じ北九州市出身)がボランティアで現地の女子サッカーを指導。わたせせいぞうがこの活動のイラストを完成させている。
[編集] 番組の歴史
- 2002年の番組開始当初はネットCMは前番組の 『知ってるつもり?!』より1分少ない5分(そのうちの1分は『ザ!世界仰天ニュース』に移行)で後半にはローカル枠1分あったが、2004年4月に前番組終了時に戻し6分に拡大しローカル枠を廃止した。
- 2002年の末期、北村晴男と丸山和也が、1対1の野球対決を行った。投手は北村、打者は丸山で、結果は北村が丸山を三振に打ち取り勝利。
- 2003年3月で久保田紀昭が、噂の真相の報道を巡って降板(詳細は久保田紀昭の項を参照)、2003年の春のスペシャルより後任の橋下徹が登場。
- 2004年10月31日の放送では、司会の島田紳助が暴行事件による活動自粛のため出演できなくなったため、番組は急遽生放送(他の紳助のレギュラー番組では字幕スーパー表示でしばらくの間は通常通り放送されたが、本番組は法律をテーマにしているためそれができなかったことによる処置)になり、準レギュラーで紳助が所属する吉本興業の後輩である東野幸治が代役として司会を担当。11月7日も同じく生放送で、14日の放送(収録)も引き続き東野の司会。11月21日の放送分から2005年1月2日(ザンゲのコーナー除く)までは「Wコウジ」として東野の相方に近い存在である今田耕司が司会に加わり松本志のぶと3人で行っていた。
- 2005年1月2日の前枠の『笑点スペシャル』の後SBなしで2時間半のスペシャルの枠内で紳助が生放送で復帰のあいさつを行った。
- 2005年1月30日では、松本が欠席し、後輩アナウンサーの杉上佐智枝が秘書代理を務めた。
- 2005年3月20日には19:58 - 22:54に初の3時間スペシャルを実施。日テレの人気番組・新番組(『世界まる見え!テレビ特捜部』、『伊東家の食卓』、『エンタの神様』、『ザ!情報ツウ800』、『金のA様×銀のA様』)の出演者が集結し、紳助とビートたけし、所ジョージという夢の共演も実現した。スーパークイズスペシャル時は紳助:『クイズどんなMONだい?!』『嗚呼!バラ色の珍生』、たけし:『世界まる見え』、所:『世界まる見え』・『笑ってヨロシク』・『笑ってコラえて』の各チームとして出演していた)。
- 2005年6月26日に紳助が復帰後初の生放送。2005年の『24時間テレビ28 「愛は地球を救う」』のメインパーソナリティーを務めるSMAPの草彅剛と香取慎吾を迎え、『24時間テレビ』恒例の「チャリティーマラソン」のランナーを発表。8月27日・28日の両日かけて、丸山和也が59歳(当時)で、錦野旦の記録した50歳を軽く越える当時の史上最高齢マラソンランナーとして挑戦することが発表された。観客や草彅・香取はこの発表を聞き(あまりの驚きに)あ然だった。
- 2005年8月28日の放送は『24時間テレビ』の放送の後で紳助を始めとする"行列メンバー"が丸山の応援に日本武道館に駆けつけた事もあり、日本武道館内の武道場からの生放送となっている。もし丸山が同番組内での放送時間内にゴールができなくても、生放送でカバーする予定だったが、実際には、丸山は『24時間テレビ』放送枠内でゴールができ、生放送は未公開映像放映・総集編と丸山の祝福番組となった。この回の視聴率は30.8%を記録した。
- 2005年9月27日には日本テレビの『踊る!さんま御殿!!』の特番に、紳助率いる行列メンバーが参加した。
- 2006年1月1日には20:00 - 23:30の3時間30分スペシャルが放送され、ダイエット宣言した住田裕子の体重測定が生放送で行われた。
- 2006年1月22日放送で法律相談件数1000件突破。森光子や北島三郎など大物芸能人からの花輪も届く。
- 2006年8月27日放送分は『24時間テレビ29』の後枠であったため、前年同様、未公開映像放映・総集編が流された。しかし、この年は『24時間テレビ29』に丸山と石田以外の行列メンバーが出演しなかったためか、特別生放送は行われなかった(番組冒頭で録画ではあったが、紳助・松本により、『24時間テレビ』の後枠であることに触れたトークが放送されたのみ。その中で紳助は松本に「(24時間テレビよりも)『27時間テレビ』の方がギャラええで」と言っていた。)。
- 2006年10月29日にて放送200回突破。
- 2007年3月18日放送分「紳助と行くとっておき裏京都の旅スペシャル」にて、京都市内の漬物店を紹介する際、別の漬物店のWebサイトに掲載された写真を無断使用していたことが後に判明し、法律を扱う番組なのにもかかわらず著作権への意識が低いと非難・叱責を受けた。日本テレビは「当事者間で交渉中の為コメントは控えさせていただく」としていたが、現在は和解している。後に、制作局長渡辺弘、担当チーフプロデューサー、プロデューサーの3人が減給処分となった。
- 2007年5月27日放送分は、恒例の『24時間テレビ30』のマラソンランナー発表のための生放送であった。丸山よりも挑戦年齢が7歳年上で史上最高齢の66歳となる萩本欽一が挑戦することが正式に発表された。丸山と同様、紳助ら出演者および観客等はあ然であった。
- 2007年6月17日放送分は、6月15日に自由民主党から比例代表で参議院選挙に出馬する意向であることが明らかになった丸山の映像をCGや黒抜きの映像等でカットして放送、三分割した他の三人の映像等も使用された(手や後ろ姿などは映った)。日本テレビではこの日に放送した回は5月27日に収録したが、この日の夜までに視聴者から100件を越す問い合わせがあったという。
- 翌週の6月24日放送分より、過去に若手弁護士スペシャルに出演した弁護士らを含む他の弁護士が、週代わりでピンチヒッターとして丸山の代役を務めていた。
- 参議院選挙終了後の8月5日放送分には当時の外務大臣・麻生太郎がゲスト出演していた。その日の放送では同じく選挙に携わっていた丸山の出演はなかったが、休止前丸山が最後に出演した6月10日以来初めて、紳助と北村が丸山について触れていた事を番組内で放送した。
- 2007年8月19日の放送は『24時間テレビ』の放送後、2005年同様、日本武道館からの生放送となった。マラソンランナー・萩本欽一が『24時間テレビ』の放送時間内でゴールできなかったため、本番組の放送時間の中で、ゴールの模様を生放送した。この回は上記で述べた通り、萩本のゴールの模様を生放送したこともあってか、視聴率は番組最高の35.3%とかなりの高視聴率を記録した。(ビデオリサーチ「芸能・バラエティー」部門の史上最高視聴率番組第5位に記録、1989年以降で一番高い結果となり、唯一の35%越えとなった。)この回での瞬間最高は42.
- 丸山が番組に完全復帰して以降の半年間は、丸山の代役として、それまでに数多くのピンチヒッターを務めた弁護士の中から、菊地幸夫と本村健太郎の2名にほぼ固定された。その後の2008年3月9日放送で、石渡真維が初登場し(前述の2人と異なり、丸山の選挙期間中は出演していない)、現在はこの3名が丸山のピンチヒッターと大阪府知事就任により番組を事実上降板した橋下の後任を行っている。
[編集] 紳助引退に伴う対応
- 2011年8月28日は、紳助の芸能界引退の影響で休止となり、前番組である『世界の果てまでイッテQ!』の2時間スペシャルが放送された。8月29日に日本テレビより放送継続が発表[21]。9月4日以降は司会者を交代して継続されることになり[6]、2011年9月4日・10月16日の2時間SP(前半)・10月30日・11月13日、2012年1月29日・2月5日・2月19日は東野幸治、2011年9月11日・9月25日・10月16日の2時間SP(後半)・10月23日・11月6日・11月27日、2012年2月12日・3月11日は宮迫博之(雨上がり決死隊)、2011年9月18日・11月20日・12月11日、2012年2月26日は後藤輝基(フットボールアワー)、2011年12月4日は綾部祐二(ピース)、2012年1月15日の2時間SPと1月22日は明石家さんま、2012年3月4日はベッキーが代理司会を務めた。いずれも暫定的な臨時司会であり、正式に後任の司会が起用される予定は現在の所ない。
- 紳助引退・降板の影響で、各局における再放送(後述)は当面の間は別番組に差し替えられる他、遅れネット局の沖縄テレビも2011年8月28日から9月25日までは『笑ってコラえて!』[22]などに差し替えていた。
- 紳助引退後・降板後にホームページ上からは紳助に関する名前やトップページの紳助と松本の2人が写った写真などが消去されている。
- 過去の紳助と出演者のトークのVTRが使用される時は、出演者の発言シーンの部分のみ使用され、紳助の顔や姿が映りこまないように編集して放送される(そのような場合でも、相槌程度の声が入ってることはある)。
- 一方で、出演者が紳助の実名を出してトークをすることがある。引退当初は実名そのままだったがその後は「あの人」「前任者」などぼやかした表現になっていた(これは他の紳助出演番組も同様の対応だった)。しかし、さんまが代理司会をした回では何度も実名を出していた。
[編集] ネット局と放送時間
[編集] 再放送
- 読売テレビ - 月曜日から金曜日の15:55 - 16:53に放送されている(同時刻には『人生が変わる1分間の深イイ話』も放送されることがある)。不定期で土曜日や日曜日の午後にも放送される場合もある。
- 広島テレビ - 『YOUたち!』を途中で打ち切って再放送を開始した結果、その時間帯の視聴率が急上昇した。
- テレビ岩手 - 日曜11:40 - 12:35に放送されている。
- 札幌テレビ - 平日午前中の時間帯に放送されている。
- 南海放送 - 基本的に土曜日13:00 - 14:00に放送中。
- 西日本放送 - 土曜12:00 - 13:00に放送されている(一時期は土曜16:00からだった)。
[編集] スタッフ
- 総合演出 : 髙橋利之
- 構成 : 桜井慎一、石原健次、山名宏和、杉山奈緒子、金森直哉、三木敦、榊暁彦、尾首大樹
- コンセプト : 高瀬真尚
- TM : 江村多加司
- SW : 米田博之
- カメラ : 日向野崇
- MIX : 三石敏生
- 調整 : 山口考志、石野太一、佐久間治雄
- 照明 : 内藤晋、木村弥史
- VTR編集 : 生田目隼、川奈部野和
- MA : 佐渡吉志広
- 音効 : 加藤つよし
- 美術 : 林健一
- デザイン : 星野充紀
- マルチ : ジャパンテレビ
- TK : 石島加奈子
- 広報 : 満松隆一郎
- デスク : 小池智子
- リサーチ : 喜多あおい、宇津木瞳子、島田京代、坪田あすか、鹿山智美、角田さち代、神谷直樹、高村敬一、小泉暁
- 演出補 : 岩﨑優貴、関友香理、及川洋平、杉本泰規、上村雄一、辻美子、綾部健二、扇畑亘、須藤将太、崔智安、井田美由紀、安孝貞、山口由晃、名取佑樹、有賀響平、池田真希(週替わり)
- AP : 東條いづみ / 本橋由美子、八木田祐子、工藤江美子、中村久美、西沙織、関原奈津子、成子美里、竹部歩美、黒川こず枝、由茅奈保美、髙橋保乃(週替わり)
- ディレクター : 福田逸平太、番秀一郎、高橋康弘、川端鉄也、渋谷英史、山泉貴弘、大楽和也、塚田直之、石原康就、横山健一、村田欣也、山嶋将義、市川隆、小川大輔、津坂健一、萩森豪、神野敬久、渡邊修一、高橋公彦、藤森真実、山本和子、太田憲一、嘉数真二郎、斎藤悠哉、大原正也、渡邊修一、青柳剛、柳瀬寿明、岩本智也、石井麻美、高梨智子、日野力、渡辺浩則、小澤博之
- 演出 : 木下仁志、川平秀二、川本賢一郎、井上伸正、吉田基之、田島与真、平野彰子、卜部一哉、飯塚一志、中山準士(週替わり)
- プロデューサー : 田中宏史、岩下英恵 / 髙松明央、名田雅哉、相川弘隆、福島ツトム、荻原伸之、小島俊一
- 制作協力 : いまじん、ジーワン、創輝、ZIPPY
- チーフプロデューサー : 松岡至
- 製作著作:日テレ
[編集] 歴代スタッフ
- チーフプロデューサー : 柏木登(※2002年6月まで)→桜田和之(※2004年5月まで)→梅原幹(※2006年6月まで)
- プロデューサー : 瀬戸口正克 / 松井昴史、金佐智絵、伊藤賢剛、小森節子、川嶋典子、大島美貴
- ディレクター : 鬼丸尚、安島隆、東井文太、千葉隆弥、西原信行、みつよし、川邊昭宏、田仲芳幸、笠原裕明、須藤拓也、小野努、高橋和博
- AP : 滝澤真一郎
- TM : 吾妻光良 → 勝見明久
- カメラ : 山田祐一、渡辺滋雄
- 照明 : 中瀬有紀
- 美術 : 小野寺一幸
- VTR編集 : 安井純治
- MA : 奥田幸裕
- TK : 矢島由紀子
- 広報 : 杉山克美、一杉早智、高木明子
0 コメント:
コメントを投稿