イタリアからの手紙 - Yahoo!ブログ
姪っ子作、
システィ家のプレゼーピオ
12月24日 クリスマスイヴ
12月25日 クリスマス
12月26日 聖ステーファノの祝日
と、この3日間はイタリアは完全なる休日である。
ミラノの実家に帰り、家族全員でクリスマスを祝い
出会う人全てに Auguri! (おめでとう!) と挨拶をする。
キリストの誕生を祝うNatale クリスマスは
24日のVigilia クリスマスイヴから始まる。
伝統的なクリスマス料理は各州によって異なるが、
伝統的にイヴの夜は断食というのが宗教上の規則なので
断食とまではいかない普通の人々は、
お肉は食べずにお魚料理をいただくのが慣習。
そして25日のお昼からフェスタ!となり
親戚も集まってきて大人数で昼食となる。
多くの子供たちは25日の朝
Babbo natale サンタクロースから贈られた
プレゼントを見つけて大喜びのはずだが、
8歳になった姪っ子ベアトリーチェは、
大人たちの子供に対する夢:子供はサンタさんを信じている
を壊さないように気を使い
今も信じているフリをしている。
モミ無料で印刷することができる静止クリスマス
ちなみに夫は小学校4年生になるまで
かすかに疑いつつも信じていたらしい・・・。
パパとママにはじまり、周りの大人たちの真摯な演技の出来具合で
このあたりの信心は左右されるのだろう。
さて、義母の姉が修道女ということもあって
フェスタはお祈りから始まる。
私にとっては、イタリアの生活の中でも
今もなお一番新鮮に映るお祈り。
Dio, nostro Padre,
ti ringraziamo
per Gesu`, tuo Figlio,
fatto uomo per noi,
vero Pane di vita.
Benedici questa famiglia
e tutte le famiglie del mondo;
fa' che non manchi
a nessuna il lavoro
e il tempo della festa,
il pane quotidiano
e il dono della pace
Per Cristo nostro Signore.
Amen.
神よ、私たちの父よ、
私たちはあなたに感謝します。
ジェズ、あなたの息子のために、
私たちのために創られたお方、
真実の命。
この家族に、
そして全ての家族のために
祝福をお与えください。
ジュエリーに刻まれた925は、どのような意味ですか仕事と祝いの時間、
日々のパンと平和の恵みを
欠かさずに済むように。
私たちの主キリストへ
アーメン
修道女のピーナ叔母さんが持ってくる
パンと一緒に入っている栞に書いてある祈りの文章を
私は相変わらず声には出さない。
やっぱり私はキリスト教徒ではないから
みんなの声を聞いているだけ。
義父が起立をし祈りの言葉を唱えた後、食事がはじまる。
25日のクリスマス当日は肉料理をいただける。
なにしろお祝いの日だから・・・。
アンティパストにはサラミやプロシュットクルード、
スペック、コッパ・・・のオンパレードと
フォアグラのパテ、マヨネーズで和えた様々なサラダ等々
もうそれだけでお腹が膨れてしまう。
毎年クリスマスのプリモピアットは
温かいブロード(コンソメスープ)のラビオリ。
昔はママと叔母さん達が手作りで
せっせせっせと作っていた←夫の言葉
らしいが、今となってはパスタ屋さんから調達。
このあたりも、おせち料理を
料理屋などから調達するうちの母と同じだ・・・。
このブロードは鶏、牛、豚の骨付き肉に
セロリやにんじん・たまねぎを加えて
ivitesをオンラインにする方法コトコトとエキスを抽出していった絶品もの。
そして、取り出した肉から骨を除き、
ささみのように残るお肉をモスタルダと一緒に食べるのだが、
マスタードがたまらなく効いた
果物のシロップ煮のこのモスタルダはおススメの一品。
セコンドピアットもしっかり食べて
2〜3時間かけての食事の後は、
ゲームをする者、テレビで映画をみる者、
ソファーでうたた寝をする者と様々。
少しして、お腹はこれでもかと膨れていても
パネットーネが出てくるとついつい食べてしまう。
ジェラートと一緒に、マスカルポーネクリームと一緒に・・・と。
ドーム型をしたドライフルーツをちりばめたケーキ。
また、パンドーロというヴェローナのパンケーキも、
ドライフルーツなしで軽めなのでやめられない。
クリスマスは義弟の誕生日でもあるので
またまた別のケーキもでてくる。
しかしゆっくり食べると
なぜか果てしなく食べられるのが不思議だ。
クリスマス翌日、聖ステーファノの祝日は
イヴとクリスマスに残ったものをさらえる日。
昼も夜も残り物で間に合わす。
家族からようやく開放される26日午後は、
友達の家へ挨拶に行ったりして過ぎていくのであった。
これが我がSisti家のクリスマス三が日。
クリスマスツリーやプレゼントの箱の山がなければ
日本のお正月三が日と勘違いしそうなこの環境が
私にとってのクリスマス。
26日夜義父母に礼を言い、ミラノをあとにした。
0 コメント:
コメントを投稿