マンドチェロ太郎の今日も眠れない
(今日はブタはお休みです)
こんばんは。チェロ太郎です。
ついに、今年一年も終わるということで、おそらくこれが今年最後の記事になるかと思います。
新年は、三が日多分人はあまり来ないだろうけど毎日更新しようと思いますので、なにとぞよろしくお願いいたします。
さて、今日は『言葉とか数字とかなんとか』という誠に要領を得ないタイトルですが、話を進めていきます。
今日の流れ
①個人の上達と団体の伝統に必要な再現性と定量性
②再現性と定量性へ向けてタイミングと場所とどの程度
③文化の深化の為にさらに
①個人の上達と団体の伝統に必要な再現性
なんとも、お堅いタイトルではじまりますが、これを書いている時に横でアニメ流しながら書いてます。初めは緑山高校っていう野球アニメです。かなり古いんですけど、おもしろくておもしろくて。主人公が190kmの剛速球とか投げて、打者が骨折するとか、もう完全ギャグアニメです。ぜひ、検索掛けてみてみてください。
さて、マンドリンを練習して困ったことの一つに、かつて上手く弾いていた時、自分がどう弾いていたか分からないという状況はありませんでしょうか。もしくは、上手い人がどういうことを意識していたか分からないという状況はありませんでしょうか。後者は結構ありそうな気はしますが。
ここで、言いたいのは団体としても個人としても、自分が上手く弾けていた時の意識や感覚を言葉として記録しておくことを勧めるということです。『スランプとか対策とかなんとか』でも書いたんですけど。
これは、もう自分がそれを読みさえすればわかるというものでいいと思います。
販売されていますtacoriダイヤモンドの指輪
例えばイチロー選手と落合監督が対談している動画がネットにアップされていますが、あの動画で言う「線でとらえて点で打つ」とか「ここでまだ身体がでちゃいけないんだよ」という言葉が、上記の物に当たります。ちなみにこれがイチロー選手がメジャー行く前で、メジャーに行って数年してから(?)は「立体で捉えます」って言ってます。マンドリンとは関係ないですが、一度ご覧になるのを進めます。
これを読んで他人がどうこうとかは考えなくていいと思います。あくまで、自分の感覚を丁寧になぞる言葉であれば、どんな言葉でもOKだと思います。僕だったら、「腰をはめる」「5本の線で弦をとらえる」とかです。よく聞く言葉なら「脱力」とかでしょうか。
次に、定量性ということを考えてみます。
最近読んだ野村監督の本に、王監督と野村監督がピッチャーのストレートの速さは天性のものか努力で変えられるものかという話で議論したと書かれていました。おふた方は野球に精通しておられる方なので、投手がどのようなメカニズムで球を投げていて、どこの筋肉が必要だけど、それはなかなか鍛えにくいものなので天性のものだとかいや筋肉だから努力で鍛えられる、という話だとは思います。
しかし、マンドリン界においてはトレモロをそろえた方がいいとか、そろえない方がいいとか、ピックは鼈甲が望ましいとかセルロイドがいいとか、言葉にはなっているんですが、話が定量的ではないので議論自体が成り立たないと僕は思います。定量的ではないと議論が成り立たないと言っているわけではありません。哲学的な話になれば、定量的なことは差し置いて、議論ができるわけですから。
ただ、言葉にするだけでは具体的な議論をできないということです。だから、言葉にしていく際には、その根拠となる部分になるべく定量的な物差しを入れるべきだと僕は思います。
大きなクロスのネックレスを購入する場所
例えば、先日の倍音の話についてもネットで検索すれば、倍音に関する記事はヒットします。そこには倍音には遠達性がないからホールでは聞こえないという意見もあれば、倍音が多く含まれる音は柔らかい音がするなど諸説あります。
しかし、これでは「柔らかい音を遠くに飛ばしたい時はどうすればいいか」という議論ができません。
ですから、柔らかい音はどういう周波数が出ているのかを知る必要がありますし、減衰する時には一体どの程度の距離でどの程度の減衰が考えられるのか論じる必要があると思います。(もっともホールでの反射をどう考えるかによってさらに複雑になるとは思いますが)
そういう点で、定量的な言葉を意識することは必要だと思います。
ただ初めから、定量的な評価をするというのは難しいことなので、その部分については徐々に詰めていこうね~くらいの緩さはあっていいと思います。
②再現性と定量性へ向けてタイミングと場所と程度
僕が苦労した(している)テーマに脱力があります。
マンドリンクラブに入るととりあえず「脱力」「脱力」「脱力」と呪文のように唱えるわけですが、ある時後輩に言われたわけです。
「力入れないと腕上がらないですよね。」
「・・・・・・・・(もっともだ)」
もっともです。あまりにももっともです。僕も初めはそう思っていたんですが、何となくトレモロもどきができるようになったころから、適当になったんでしょう。途中から僕も後輩に何も考えず「脱力」を連呼していました。
当たり前なんですが、腕を振り上げるにも、姿勢を保つにも筋力はいるわけです。筋力を0にすれば、身体はデローンとなるわけです。
この話で欠けているのは、どのタイミングでどの場所をどの程度脱力する(もしくは力をいれる)のか、という視点が抜けているということです。
へそのリングを作る方法
これは持論を作っていく際に一つの目安にもなると思います。
倍音の話で言うなら、どのくらいの期間(時間)どの周波数がどの程度、基音に含まれているかを考えることなしに、倍音云々の話はできないということです。
逆にいえば、自分にこの視点があれば、持論を作っていく際の手がかりにもなると思います。
③文化の深化のためにさらに
これからは、持論を作った後の話をしていきます。(まだまだ気が早い気もしますが)
後の世代に、自分達が作ったものをさらに深化させてほしいと願うのは、先駆者たちのエゴでしょうか。親心と映るか老婆心と映るか、分かりませんよね。分からなかったらエゴでもお節介するんですがw。
さて、自分が手塩にかけて作った持論を後の世代に伝えるためには、言葉と数字そしてもう一つ視点が必要だと思います。
それは、擬似体験を通して伝えるということ、つまり相手の五感という視点です。
そして、できれば客観的にそれができているかどうか判断できると望ましいです。
これは、先の言葉と数字で積み重ねてきたもの程詳細には表わせない反面、ダイレクトな伝達方法ではあると思います。特に、始めたばかりの人や行き詰っている人には効果的だったりするかもしれません。
剣道でもこういう指導はあります。
例えば、竹刀をふるというのは身体全体で振るものです。もっというと、身体の重心移動をしっかりと使うということです。速いふりをするためには、速い時の重心の動きが分かればいいんじゃなかろうかということで、軽い竹刀を使って、ぶんぶん素振りするという練習もあります。僕だったら、さらに強い学校の素振りをビデオにとってそれと同じリズムで出来るかどうかを試すと思います。
マンドリンにおいてもこういう伝達方法は大切だと思います。
例えば、脱力して腕を振り下ろす(重力を使って振り下ろす)練習があるとします。この時、肩の高さに挙げた状態から腕を下ろしても、ダラーんとしてまぁこんな感じかなで終わってしまいます。ですが、例えば誰かもう一人が片手にその人の腕もう片方にペンを持って二つ同時に手放せば、脱力できていれば、ペンと腕は同じはやさで落ちるはずなので、脱力できているかどうかが本人の感覚だけでなく客観的に判断できます。(厳密な話をしたら違うかもしれませんが)
このように、相手の五感で体験できてかつそれが客観的に判断できる伝達方法を考えることができれば、マンドリンの上達は早いと思います。(当たり前か)
勿論この伝達方法を考えることができるのは、ある種持論があるからなので、さらに上のステップだと思います。
現に、僕もブログでは自分のことで手いっぱいな感じですし。
皆さんもぜひ気軽に練習方法を考えて見られてはいかがでしょうか。案外新しい発見があるかもしれませんよ。
0 コメント:
コメントを投稿