クリスマス - Wikipedia
クリスマスは、イエス・キリストの降誕(誕生)を祝う祭[1][2](降誕を記念する日)[3]。12月25日に祝われるが、正教会のうちユリウス暦を使用するものは、グレゴリオ暦の1月7日に該当する日にクリスマスを祝う[4][5]。
キリスト教に先立つユダヤ教の暦、ローマ帝国の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦では日没を一日の境目としているので、クリスマス・イヴと呼ばれる12月24日夕刻から朝までも、教会暦上はクリスマスと同じ日に数えられる。
新約聖書には、イエスの誕生日を特定する記述は無い。
イエスがヘロデ王の代に、ユダヤのベツレヘムでお生れになったとき、見よ、東からきた博士たちがエルサレムに着いて言った、
恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。
キリスト教においてもクリスマスは「降誕[6]を記念する祭日」[3]と位置づけられており、「救世主イエス・キリストの誕生日」と考えられているわけでは無い。イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があった(例えば3世紀の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンスは5月20日と推測していた)[3]。
降誕祭とは別に、西方教会では1月6日にキリストの公現を祝う(公現祭)。12月25日の生誕祭は、遅くとも345年には西方教会で始まった。ミトラ教の冬至の祭を転用したものではないかと言われている。
キリスト教圏では、クリスマスには主に家族と過ごし、クリスマスツリー(常緑樹で、一般にモミの木)の下にプレゼントを置く。プレゼントを贈る気持ちである「愛」の日でもある。
クリスマスツリーの習慣は、中世ドイツの神秘劇でアダムとイヴの物語を演じた際に使用された樹木に由来している[7]。またクリスマスツリーに飾りつけやイルミネーションを施す風習は19世紀以降のアメリカ合衆国で始まったものである[7]。
サンタクロースは、キリスト教の聖師父である奇蹟者聖ニコライ(ニコラウス)の伝説が起源とされる。
正教会では、正式なフルネームとしては「主神我が救世主イイススハリストスの降誕祭」として祝われる(イイスス・ハリストスはイエス・キリストのギリシャ語読み)。エルサレム総主教庁、ロシア正教会、グルジア正教会と、非カルケドン派教会であるコプト正教会はグレゴリウス暦1月7日(ユリウス暦の12月25日に当る)に降誕祭を祝うが、ギリシャ正教会、ブルガリア正教会などではグレゴリウス暦の12月25日に執り行う。正教会では、降誕祭と神現祭(主の洗礼祭:降誕祭の12日後)とは奉神礼として一連のものであり、構造は同じである。降誕祭の祭前期には「聖列祖の主日」で原祖アダム以来のキリストの肉に縁る先祖を、「聖世祖の主日」では神の祖父母イオアキムとアンナら歴代の義者を祭る。
[編集] 語源と表記
日本語の「クリスマス」は、「英語: Christmas」に由来し、その語源は「キリストのミサ」を意味する「英語: Christ's Mass」にある。日本語では他に、「降誕祭」、「聖誕祭」、「聖夜」などの呼び方がある。「クリスマス」にあたる「ドイツ語: Weihnachten(ヴァイナハテン)」、「フランス語: Noël(ノエル)」、「スペイン語: Navidad(ナビダー)」、「ラテン語: Christi Natalis(クリスティ・ナタリス)」であるが、語源は必ずしも同じではない。「ギリシア語: Χριστούγεννα」(クリストゥ・ゲナ)は、「ギリシア語: γέννα」(誕生)を用いており、文字通り、「キリストの誕生」である。
チョコレートEBませんどのようにマッハ「英語: Christmas」の略記として、19世紀の英語圏ではキリストを意味する「ギリシア語: Χριστος」の頭文字である「ギリシア語: Χ(カイ)」、あるいはそれと同じ形であるローマ字の「X(エックス)」を省略形として用いて「X'mas」としたり[8][9]、「Christ」の末字「t」を「X」に上付き添字した「Xtmas」とする表記が多用されていた。[10]現在の英語圏では「Xmas」あるいは「X-mas」と綴ることが多いが、「Xtmas」、「Xpmas」の表記も散見される。
非キリスト教圏である日本・台湾・東南アジアでは、19世紀の英語圏で見られたのと同様のX'masとの表記が利用されている。Xが十字架すなわちキリストを表し、Xの後ろに何かが省略されているわけではないのでアポストロフィを付けるのは誤りであるとの解釈から、および現代の英語圏で使用が少ないため誤用またはEngrishとされることがある。[11][出典無効][12]なお、日本では「Xマス」とも略記する。
ロシア語での「クリスマス」の略記は、「ハリストス(キリストの現代ギリシャ語・ロシア語読み)の降誕」を意味する「ロシア語: Рождество Христово」の頭文字からとった「РХ」で表される。ロシアでは、聖堂などに「РХ」とネオンサインで表示する様子がしばしば見られる。
[編集] 世界のクリスマス
キリストの誕生の話に登場する場所や人物の人形を飾り付け、赤ん坊のキリストだけは24日から25日に日付の変わる深夜に登場する。このとき3人の東から来た王様は、離れた場所に置かれ、毎日子供達は王様を少しずつキリストの生まれる厩へと近づけて行く。1月6日に3人の王様はキリストに出会い祝う。子供達はこの3人の東から来た王様からのプレゼントを朝に見つけることになる。
キリスト教の中でもカトリックの影響の強いイタリア、ポーランド、フランス、スペインなどでは、クリスマスは12月25日に始まり、1月6日の公現祭(エピファニア)に終わる。クリスマスの飾り付けは23日頃に行う。24日はクリスマス・イヴとして夜を祝う。子供達がプレゼントをもらうのは1月6日である。イタリアのほとんどの地域ではプレゼントを持って来るのは魔女のベファーナとされる。これらの国々でのクリスマス期間は12月24日から公現祭までで、飾り付けは1月6日を過ぎてから取り払われる。
オランダやドイツの一部地域などでは12月6日がニコラウスの日で、子ども達はプレゼントをもらう。ドイツでプレゼントを持ってくるのは北部ではヴァイナハツマン(Weihnachtsmann、「降誕祭の男」)、南部ではクリスト・キント(Christkind、「キリストの子」)と呼ばれている。プレゼントをもらえるのはそれまでの1年間に良い子だった子どもだけで、悪い子は石炭を与えられたり木の枝で打たれることになっている地域もある。
北欧のクリスマスはユールと呼ばれ、聖ルチア祭から始まる[13]。古代ゲルマンの冬至祭の影響を色濃く残しており、ユール・ゴート(ユールブック)と呼ばれる、ワラで作ったヤギを飾ること、妖精がプレゼントを持って来てくれることなど、独自の習慣が見られる。また、クリスマスの時期は真冬であるため、小鳥たちがついばめるように、ユールネックという麦の穂束を立てる習慣もある[14]。
イギリスではサンタクロース(Father Christmas)が12月25日にプレゼントを持って来る。米国では、イギリス流のクリスマスが一般的で、日本のクリスマスも米国流を受け継いでいる。またこの日には、クリスマスの挨拶にとクリスマスにちなんだ絵はがきやカード(グリーティングカード)を送る習慣がある。米国では、クリスマスプレゼントを家族全員で交換し合う習慣がある。外出するのは教会に行く時くらいで、家庭料理を味わったりするなど家族で過すのが一般的である。
欧米では、クリスマスの日にヤドリギを室内に飾り、その下で出会った男女はキスをしてもよいとする習慣がある。
月の石は何ですか近年米国では、宗教的中立の観点から、またユダヤ教の祭日ハヌカーがほぼ同じ時期であることもあり、クリスマスを祝わない立場の人に対して「メリー・クリスマス」の代わりに「Happy Holidays ハッピー・ホリデーズ」(「楽しい休日・祝日を」)の挨拶を用いる場合がある(ポリティカル・コレクトネスを参照)。1990年代後半から、政教分離の原則のもと、公的な空間に飾られたクリスマスツリーを「ホリデー・ツリー」と呼びかえるケースが出てきたが、キリスト教系の団体から批判を受けている。また、1960年代からアフリカ系アメリカ人の間で、クリスマスの翌日からアフリカ民族の伝統を祝うクワンザという行事を家庭で行うことが増えている。欧米諸国、さらに大韓民国、中華人民共和国香港特別行政区、同マカオ特別行政区では、クリスマスは法定祝日である。ヨーロッパでは12月24日(イブ)から1月1日(元日)までクリスマス休暇が続く。25日にはロンドンの地下鉄やバスが全線運休になる[15]。
一方、アメリカでは25日と1月1日だけが祝日で、後は個人で各々有給休暇を取得して休むのが一般的である[16][17]。軍も休暇となり基地やキャンプは閉鎖され、派兵中でない兵士達は自宅へ戻る。
オーストラリアなど南半球の国々では、クリスマスは真夏となる。そのためクリスマスパーティーは屋外やプールなどで開催されることも多い。
正教会圏に含まれるロシアでは、クリスマスは「冬祭り」、サンタクロースは「マロース爺さん」(ロシア語で、マロースは「吹雪」の意味)と呼ばれている。また、ロシアのクリスマスは1月7日(ユリウス暦で12月25日)である。
[編集] 日本のクリスマスの歴史・行事
[編集] 歴史
[編集] 明治維新以前
1552年(天文21年)に周防国山口(現在の山口県山口市)において宣教師コメス・デ・トルレスたちが日本人信徒を招いて降誕祭のミサを行ったのが日本で初めてのクリスマスである。しかし、その後江戸時代に幕府がキリスト教を徹底的に弾圧したことから、明治の初めまでまったく受け入れられることはなかった。
[編集] 明治時代
日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900年(明治33年)に明治屋が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まったことが大きな契機であった。
[編集] 大正時代
大正時代になると、児童向け雑誌や少女雑誌の十二月号には、表紙をはじめとしてクリスマスにまつわる話や挿絵がたくさん導入された。1925年(大正14年)に日本で初めてクリスマスシール(結核撲滅の寄付切手)が発行される。
[編集] 昭和(戦前)
1926年(大正15年)12月25日に大正天皇が崩御し、昭和時代が幕を開けた。戦前の休日法は当初から先帝祭を休日に定めていたため、1927年(昭和2年)3月4日に当時の休日法「休日ニ関スル件」が改正され、大正天皇祭(12月25日)が設定された。クリスマスの習慣は休日だったこの時代に広く普及したとされている。
1928年(昭和3年)の朝日新聞には「クリスマスは今や日本の年中行事となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるまでに普及していた[18]。
昭和初期の頃、銀座、渋谷道玄坂から浅草にいたるまでの多くのカフェや喫茶店においてはクリスマス料理の献立を用意し、その店員はクリスマスの仮装をして客を迎えた。この様子を1931年(昭和6年)12月12日の都新聞は、「七千四百余のカフェと二千五百余の喫茶店に華やかにクリスマスが訪れサンタ爺さん大多忙を来たす」と報じた。
[編集] 昭和(戦後)・平成
1948年(昭和23年)7月20日に「国民の祝日に関する法律」が施行され、大正天皇祭は休日から外されてしまったが、以降もクリスマスは年中行事として定着し、行事も盛大に行われるようになった。商業施設では早いところは11月上旬からクリスマスツリーが飾られ、クリスマスセール等が行われる。店内にはクリスマスソングが流れ、洋菓子店ではクリスマスケーキが販売される。街中では街路樹に豆電球(近年は省エネに配慮してLED照明)が飾り付けられる(イルミネーション)。庭のある家庭では、庭木などに電飾を施すこともある。商業施設などの場合、12月24日のクリスマス・イブにイベントなどを開くことがある。
どのように合成宝石が作成されますイギリスおよび英連邦諸国では12月26日に使用人や配達人などにプレゼントを渡すボクシング・デーがあり、1月6日までをクリスマス期間ともしている[19]のに対して、日本では12月25日を過ぎるとクリスマスの飾りが一転して門松などの正月飾り(日本の神道式)に付け替えられたり、小売店などでも正月準備用や大掃除用商品の陳列・販売が中心となる、BGMも「お正月」が流れる、という点が特異である。近年ではカウントダウンイベントが盛んになる12月31日深夜までイルミネーションがそのままにされているところも出てきている。
[編集] 個々の場合
[編集] 教会でのクリスマス
キリスト教会は一般に、キリスト教徒であるか否かに関係なく門戸を開いており、クリスマスの礼拝に出席することは可能であり、クリスマスらしい特別(≒厳粛)な雰囲気を味わうことができる(掲示板に「クリスチャンでない方もお気軽に」と掲示が出る)。例えば東京都区部ならば、正教会のニコライ堂などで行われている晩祷・聖体礼儀や、カトリック教会の聖イグナチオ教会[20](上智大学キャンパスに隣接)のミサに出席し参加する事ができる。また、聖公会・プロテスタントの諸教会でも、信徒のみならず非信徒をも歓迎しているところが多い。
[編集] 家庭のクリスマス
日本人男女を対象とした2006年(平成18年)の統計調査によると、クリスマスは誰と過ごすか、との質問に対し「家族」との答えが約6割と圧倒的多数を占め、またクリスマスの過ごし方は「家でのんびりする」が群を抜いて1位(66%)となるなど、日本人がクリスマスを家庭で過ごす傾向が明らかになった[21]。また子供たちにとってはサンタクロースがプレゼントを持って来てくれる嬉しい日である。
[編集] 独身者のクリスマス
家族と過ごす人、恋人と過ごす人、友人と過ごす人、家で独りで過ごす人など、クリスマスの過ごし方は様々である[22]。
しかし、1930年代から、パートナーのいる人にとっては着飾ってパートナーと一緒に過ごしたり、プレゼントを贈ったりする日となっている。1931年(昭和6年)には、パートナーのいない"不幸な青年たち"には方々のレストランが「一円均一」のクリスマスディナーを売り出すなどして歓迎した、とも報じられた[23](現在の相場に換算すると約10,000円。例えば、高級品であったレコードやタクシー乗り放題価格は、同じくちょうど1円の時代)。
2005年(平成17年)11月に行われた1都3県の20歳 - 39歳の独身男女計474名のインターネット利用者を対象とした調査では調査対象者の約7割が「クリスマスは恋人と過ごしたい」と考えていると回答した[22]。
2006年ネットリサーチDIMSDRIVE『クリスマスの過ごし方』に関するアンケートでは、30歳台女性の43.5%が「自宅でパーティーなどをする」と回答している[24]。
これらの風潮について批判もありイタリアの「ベネルディ」誌は2010年12月24日、『クリスマスの東京 愛を祝う』と題した記事で、"人口のわずかしかキリスト教徒がいないのに多くの人がプレゼントを交換しあうほか、男女の愛の祭りとなっている"と評したという[25][26]。しかし、多くの日本人は、宗教行事としてイベントを行ってはいない。
「クリスマス・イヴ#日本のクリスマス・イヴ」も参照
[編集] 教育機関のクリスマス
クリスマス行事は幼稚園・保育所・小学校などでも行われることがある(通常冬休みの直前に行うため、12月24・25日ではないことがほとんどである)。祈りを伴った正式の形で行われるのはいわゆる"ミッション系"に限られている。
[編集] スポーツの場合
クリスマスに大一番が有る時には、どの大会でも聖夜決戦と呼ばれる事がある。
[編集] 祝日化
クリスマスは多くの国で祝日となっているが、日本でも祝日にしようという話がある。平成時代において祝日にした場合は、天皇誕生日が12月23日であるため、両日に挟まれた24日が自動的に国民の休日となり、3連休が発生する。年によっては21日から5連休となり、その後すぐに年末年始休暇となるため、(有給休暇などを上手く利用すれば)15連休前後の長期休暇が取りやすくなるという利点がある。しかし、多くの企業にとって年末はいわゆる繁忙期・かき入れ時であることもあり実現の見通しは全く立っていない。さらに、憲法が規定する政教分離の原則から、特定の宗教の記念日を祝日とすることは難しいとされる。ただし、昭和前期の大正天皇祭のように、休日が偶然に一致する可能性はあるが、同時にそうそうあることでもな� ��。
キリスト教が後世に伝来した日本以外のアジア諸国でクリスマスを法定祝日とする国では、古くから信仰される宗教への配慮から、他の宗教の記念日もクリスマスと同等に法定祝日とする場合がある。
[編集] イエス・キリストの誕生日との関係についての諸説
新約聖書には、イエスの誕生日に関する記述はないが、10月1日か10月2日が誕生の日と推測する説もある。1993年9月15日に、イギリスの天文学者D・ヒューズが聖書中の天文現象の記述から、イエスの誕生日は紀元前7年9月15日とする説を発表した。また、羊飼いが誕生を祝ったあと夜中の見張りに戻ったとあり、羊を放牧するのは4月から9月の間で、冬の寒い時期には小屋に入れて外に出さない事から、夜中の羊の見張りを行う4月から9月までの間とする説もある。少なくともイエスの誕生日が12月ではない事は確かである。
1月1日が12月25日と1月6日のちょうど中間にあたることから、キリスト歴の1月1日を定める時に中間の日を妥協案として選んだという説がある[要出典]が、これは単なる俗説である。ローマ帝国で使用されていたユリウス暦は、紀元前45年から1月1日を年初日に設定しており、キリスト教との因果関係はあり得ない。ただし、1月1日は丁度クリスマスの8日後にあたり、主の割礼祭(ユダヤ教の律法において、生後8日目に割礼を施すことが慣わしになっている)としての祝日になっている。
西暦1年は、キリストの生まれた年と決められており、紀元前を表すB.C.は「Before Christ」すなわち「キリスト前」という意味である。しかし実際には、キリストが生まれた年は紀元前8年から紀元6年ごろまで諸説ある。
当初、ローマ帝国はキリスト教を迫害したため、キリスト教徒はローマから離れた地方に逃げており、スペインにはローマ帝国において変化する前の古いキリスト教が起源と思われる習慣も残っている。後にキリスト教はローマ帝国の国教として定められ、当時ローマ帝国の支配にあったヨーロッパ全域に広がり、各地の文化・慣習を取り入れた。クリスマスの起源として、ローマの農耕神サトゥルヌスのための祝祭(サートゥルナーリア)を挙げる説がある。また、ローマ帝国時代のミトラ教の信者は、冬至に太陽神の誕生を大々的に祝ったとされ、この習慣をキリスト教が吸収したともいわれる。エホバの証人は、クリスマスの起源がこのような古代の異教の祭りにあることを主な理由として、クリスマスを祝わない宗派として知ら� ��ている。
西暦の1月1日を新年として祝うのは王政ローマで紀元前713年ごろから始まった。のちに年初日はそれ以前の年初日であった3月1日に戻ったが、古代ローマ共和国時代、紀元前153年1月1日からローマでは年初日が1月1日に戻った。多くのキリスト教国や日本はそれに倣っている。例えばヒンドゥー教徒やイスラム教徒は、現在でも1月1日を通常の日と同じように過ごし、それぞれの新年の日を別に持っている。
[編集] ローマ教皇による商業主義への懸念
現任ローマ教皇・ベネディクト16世は、12月8日の「無原罪の聖マリアの祭日」とクリスマスの間の「聖なる降誕祭を準備する期間」について以下のようなコメントを発している。
現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なこと。……
……降誕祭の精神は、「精神の集中」と「落ち着き」と「喜び」であり、この喜びとは、内面的なもので、外面的なものではない。— 教皇ベネディクト十六世の2005年12月11日の「お告げの祈り」のことば(カトリック中央協議会)
[編集] クリスマス映画
「Category:クリスマス映画」も参照
また、『ポーラー・エクスプレス(原作:クリス・ヴァン・オールズバーグ/THE POLAR EXPRESS/1985年/全米の絵本の最高栄誉であるコールデコット賞受賞)』(2005年)など、子供向け映画が毎年のように公開されている。 クリスマス映画として最も有名なのはビング・クロスビー、ダニー・ケイ主演の『ホワイト・クリスマス』(『スイング・ホテル』のリメイク)である。 この映画で流された主題歌「ホワイト・クリスマス」(歌・ビング・クロスビー)は後にクリスマスソングのスタンダード・ナンバーとなり、レコード、CDはクリスマスの時期に必ず売り出され、ミリオンヒットを記録している。
[編集] 関連文献
- パラダイス山元 著/監修 『サンタクロース公式ブック ~クリスマスの正しい過ごし方~』 小学館、2007年、ISBN 4-09-387748-3(ISBN-13 978-4-09-387748-0)、『サンタクロース、ライフ。』 ヤマハミュージックメディア、2002年、ISBN 4-636-20653-3(ISBN-13 978-4-636-20653-1)
- 若林ひとみ 著 『クリスマスの文化史』 白水社、2004年、ISBN 4-560-04075-3(ISBN-13 978-4-560-04075-1)
- クラウス・クラハト:克美・タテノクラハト共著 『クリスマス どうやって日本に定着したか』 角川書店、1999年、ISBN 4-04-883598-X
- 『キリスト教神学事典』 教文館、2005年、ISBN 4-7642-4029-7
- ジャンニ・ロダーリ作・杉浦明平訳『青矢号のぼうけん』 岩波書店(岩波ものがたりの本)
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