自然 | 雑学界の権威・平林純の考える科学
「霧」と聞くと、どんな場所を連想するでしょう。 おそらく、それは、(たとえば)標高が高く・気温が低い高原などで「あなたが暮らす街ではない」のではないでしょうか?
しかし、何十年も前、横浜や東京という街は、一年のうちのかなりの日数「霧」に覆われていました。 夜になると白い霧が、時に不気味に、あるいは、時にロマチックに街を覆い出す…横浜や東京という街は、そんな場所でした。 だから、昔の懐メロ(懐かしのメロディ)には「夜霧よ今夜も有難う」「東京夜霧」「夜霧の第二国道」といった、タイトルの歌が、多く残っています。 けれど、そんな「霧に覆われた街」を、最近は想像することが難しくなってしまいました。
下のグラフは、1930年から2010年までの「東京・横浜における霧日数変化」です。 かつては、一年間のうち、3ヶ月(90日)近くの日、つまり数日に一度は「街が霧に覆われていた」のです。 確かに、昔は「霧が多かった」ということがわかります。
東京と横浜における霧日数の経年変化(近藤純正ホームページ"からの引用)
そしてもうひとつ、このグラフを眺めるとわかることがあります。 それは、最近は「霧」が大幅に減り、ほぼなくなってしまった、ということです。 かつて「霧」に覆われていた東京や横浜の街は、もう「霧」とは無縁の街になってしまったのです。
東京や横浜から「霧」が消えた理由は、「大気汚染の減少」と「気温の上昇(相対湿度の低下)」だと言われています。 「寒い」と霧が発生しやすいものです。 そして、「大気が汚染され、空気が汚れ、もやがかっている」と、それはすなわち"霧"と判断されてしまいます(霧とは目視視認距離が1km以下のことを指すのです)。 だから、都会の気温がまだ低く(ヒートアイランド現象が起きず)、そして、日本が発展する途上で大気汚染が激しかった時代には、「霧」が発生しやすかった、というわけです。
東京や横浜を「霧」が覆うことが、今や珍しくなってしまいました。 その理由は、日本の都会が発展する過程でコンクリートに覆われて・気温が上がっていったこと、そして、日本が発展し終わり・大気汚染が消えていったこと、なのです。
東京や横浜の街を霧が頻繁に覆っていた昔の時代…東京や横浜から霧が消えてしまった今の時代…あなたは、どちらの街を生きたいと思いますか。どちらの時代が好きですか?
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