2012年1月24日火曜日

自然 | 雑学界の権威・平林純の考える科学

 「霧」と聞くと、どんな場所を連想するでしょう。 おそらく、それは、(たとえば)標高が高く・気温が低い高原などで「あなたが暮らす街ではない」のではないでしょうか?

 しかし、何十年も前、横浜や東京という街は、一年のうちのかなりの日数「霧」に覆われていました。 夜になると白い霧が、時に不気味に、あるいは、時にロマチックに街を覆い出す…横浜や東京という街は、そんな場所でした。 だから、昔の懐メロ(懐かしのメロディ)には「夜霧よ今夜も有難う」「東京夜霧」「夜霧の第二国道」といった、タイトルの歌が、多く残っています。 けれど、そんな「霧に覆われた街」を、最近は想像することが難しくなってしまいました。

 下のグラフは、1930年から2010年までの「東京・横浜における霧日数変化」です。 かつては、一年間のうち、3ヶ月(90日)近くの日、つまり数日に一度は「街が霧に覆われていた」のです。 確かに、昔は「霧が多かった」ということがわかります。


東京と横浜における霧日数の経年変化(近藤純正ホームページ"からの引用)

 そしてもうひとつ、このグラフを眺めるとわかることがあります。 それは、最近は「霧」が大幅に減り、ほぼなくなってしまった、ということです。 かつて「霧」に覆われていた東京や横浜の街は、もう「霧」とは無縁の街になってしまったのです。

 東京や横浜から「霧」が消えた理由は、「大気汚染の減少」と「気温の上昇(相対湿度の低下)」だと言われています。 「寒い」と霧が発生しやすいものです。 そして、「大気が汚染され、空気が汚れ、もやがかっている」と、それはすなわち"霧"と判断されてしまいます(霧とは目視視認距離が1km以下のことを指すのです)。 だから、都会の気温がまだ低く(ヒートアイランド現象が起きず)、そして、日本が発展する途上で大気汚染が激しかった時代には、「霧」が発生しやすかった、というわけです。

 東京や横浜を「霧」が覆うことが、今や珍しくなってしまいました。 その理由は、日本の都会が発展する過程でコンクリートに覆われて・気温が上がっていったこと、そして、日本が発展し終わり・大気汚染が消えていったこと、なのです。

 東京や横浜の街を霧が頻繁に覆っていた昔の時代…東京や横浜から霧が消えてしまった今の時代…あなたは、どちらの街を生きたいと思いますか。どちらの時代が好きですか?

 12月10日の夜の皆既月食(月蝕)をたくさんの人たちが眺めることができたのは、月が遙か遠く離れた場所にあるからです。 もしも、月がもっとずっと近い場所に浮かんでいたとしたら、日本中の人たちが月食を同時に眺めることはできません。 たとえば、高さ634mの東京スカイツリーは東京近くの広い場所から眺めることができます。 しかし、東京から数百km離れた大阪からともなると…東京スカイツリーは見えません。 月が地球から約38万kmほども遠い場所にいるから、日本列島のさまざまな場所にいる私たちが、同じ月を眺めることができるのです。

 今週からクリスマスくらいまでの間、冬の澄んだ夜空の向こうから、こぐま座流星群が地球へと降り注ぎます。 しかし、月食と違って、「同じ流れ星」をみんなで眺めることはできません。 なぜ、同じ月食をみんなで眺めることができるのに、同じ流れ星をみんなで見ることができないのでしょうか?

 なぜかと言うと、流れ星がいるのは月よりずっと低い場所だからです。 大気圏に突入した流れ星は地表100kmほどの高さで熱く燃えて、そして明るく輝きます。 100kmというと…東京駅から東海道線に乗って、横浜・小田原・熱海を抜けて、箱根を過ぎた辺りです。 そんな意外なほどに近くて・低い場所、地表100kmくらいの高さで輝いているのが流れ星です。 地表100kmくらいの高さでは、100〜200キロメートルくらい離れてしまうだけで、もう見ることができなくなってしまいます。 だから、私たちが見ることができるのは、私たちの周り100〜200キロメートルくらいのところに降り注いでいる流れ星だけで、数百km以上離れた人とは同じ流れ星を見ることはできないのです(参考記事)。

 クリスマスの頃までの北の夜空を、誰かと一緒に眺めてみるのはいかがでしょう。 とても近く、同じ場所から、同じ方向を眺めてみれば、もしかしたら、同じ流れ星を眺めることもできるかもしれません。

 先週末の土曜日、2011年12月10日の夜、たくさんの人たちが皆既月食を見上げていました。 あの夜、空に高く浮かぶ満月が急に三日月へと姿を変え始め、陰った部分は赤くなり…いつの間にか赤い満月が一時間近く空に浮かんでいました。その皆既月食中の月を眺め、幻想的なまでに「赤い」ことに驚いた方も多かったのではないでしょうか?

 太陽の光が地球に遮られて月に届かなくなると「月食」になります。 …しかし、太陽からの光が(地球から見える側の)月面に完全に届かないわけではありません。 実は、地球の周りにある大気中を通過した太陽光の一部が、大気中を通過し・方向を変えつつ月面を照らすのです。 その際、青色や緑色の光は地球の影の中に隠れた月面まで届かずに、(右図のように)赤色系統の光だけが月面まで辿り着きます。 地球の周りの大気中を、主に赤い色の光だけが通過し・少しづつ色々な方向に向きを変え・進み、その一部が月面を照らします。 だから、皆既月食中の月は赤く見える、というわけです。

 ちなみに、「地球の周りの大気中を、主に赤い色の光だけが通過し・少しづつ色々な方向に向きを変え・進む」のは、「夕焼けが赤くなる理由」と同じです。 地球上にいる私たちが眺める(地球の)地平線近くから差し込んでくる太陽の光が赤く見えるように、月面から眺めても、地球の地平線近くから差し込んでくる太陽の光はやはり赤く見えるのです。( 参考:宇宙ステーションから見た"夕焼け")

 だから、あの皆既月食の夜、私たちが見上げた「赤い月」は、実は(遙か彼方の)地球の周りに輝く"夕焼け"に照らされた赤い月だったのです。 皆既月食を迎えるとき、地球の月面は地球の影が作る夕焼けに照らされて夜になり、一時間ほどの夜を過ごし、そして、地球が作る朝焼けがその夜を終わらせます。 そんな"地球の夕焼けと朝焼け"に照らされて、赤く染まる月を、私たちがその地球の上から眺めていたのです。 …何だか、少し不思議で、とてもロマンチックですね。

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