2012年1月15日日曜日

@読書のはなし 『路傍の石』 山本有三:ぐんにょり日記:So-netブログ



久々にガッツリ系の読書日記です。

◆あらすじ(ネタバレ度100パーセント)
この小説は主人公・愛川吾一の少年期から青年期までの成長の物語です。

吾一は成績も優秀、負けん気が強い子で、学校の友だちからも
一目おかれる存在です。
近くに新設された中学校(旧制中学)への進学を切望していましたが、
経済的な事情で進学は難しく、そんな吾一のことを惜しいと思った
担任の次野先生は、自分の親戚で、吾一の隣家の書店・稲毛屋の主人である
黒川安吉に学資の支援を頼みます。
安吉が学資を出してくれる話が進み、吾一も中学への進学の希望がかなうと
思っていたとき、吾一の父・庄吾はこの話を断ります。

庄吾は元士族で気位だけは高いのですが、働きもせずに、
村の土地の所有権をめぐる訴訟に熱を入れています。

庄吾は、現在進めている訴訟に勝てば、まとまった金が入ると
言っていたのですが、思うように進まず、とうとう入学金の納金の時期が
迫ってきました。
とにかく入学金だけでも先に納めて、あとは訴訟で入るお金で
何とかできれば、と、吾一は自分の貯金を使おうと言ったのですが、
何とその貯金も庄吾が訴訟の資金に使ってしまっていたのでした。

こうして中学進学を諦めなければならなくなった吾一は、
呉服屋の伊勢屋に奉公に出されます。
実はそれも、庄吾の借金を働いて返すためであり、
母のおれんも伊勢屋の仕事を引き受けて働く毎日。

辛い奉公生活の中でも、母を悲しませないように必死で頑張る吾一でしたが、
労苦がたたり、おれんは病死してしまいます。
庄吾は東京に出たきり、おれんの死を連絡しても帰ってきませんでした。

母を失い、故郷に未練がなくなったことで、吾一は、意を決して東京に出ます。
ところが、東京にいる庄吾を訪ねたものの、不在でした。
結局行く当てもなくなった吾一の行く手には、さらに数々の困難が
待ち受けていました。その困難の一つ一つを、吾一は持ち前の真面目さと、
様々な人びとの支えの中で乗り越えていきます。

◆感想
中学生の頃、結構好きだった作品です。
今回本を手に取ったときに、やけに分厚いなあと思ったのですが、
前に読んだときよりも、だいぶ続きがありました。
どうやら、何回か違うタイミングで同一の作品が出版されたため
一つの作品としてのまとめ方が2通りあるようです。
で、私が中学生の時に読んだのは、ダイジェスト版っぽいまとめ方を
したものだったようです。

それにしても、吾一の人生は壮絶です。
子どもの頃は、とにかく本人が頑張っているのに、とにかく不幸。
不幸の原因はあの父親のせいか。

成人してからの吾一は、印刷所で働きながら、
東京で再開した次野先生の紹介で商業学校に通い、
努力を積み重ねて、次第に会社でも認められる存在に成長していきます。
偉いねぇ。
印刷所が火事になったときには、まずお客さんから預かった原稿を
安全な場所に持っていくところはすごいなと思いました。
それで会社の信用を失わずに済んだと印刷所の主人からも絶賛されたのは、
納得ですね。長い下積みの中で培ったものなんでしょうね。

そんな折に、庄吾がふらっと吾一の前に現れます。諸悪の根源登場。
せっかく取っておいた独立資金も、またコイツに使われているし。
ここまで最低の父親だと、もうどうしていいやら。
あまりのショックにヨロヨロした吾一を励ましたのは、石を掻き分けて生える草。
それを見て負けるもんかと再起する吾一は、さすがです。

この後吾一はどんな成長を遂げたのでしょうか。
残念ながら独立後の吾一の挑戦はちょこっとしか書かれておらず、
続編を書く予定だったようですが、実現はしませんでした。

でもまだ少年ゆえに、窮地に何度も立たされた吾一が、
色々な大人(善意の人もいれば、悪意の人もいるけど)の中で
どうにかやっていけるっていうことに
「捨てる神あれば拾う神あり」とか「親はなくても子は育つ」とか
そんな気持ちになりました。

「吾一」という名前は、現代風に言うと、「もともと特別なオンリーワン」
って意味合い。
次野先生、良いこと言いますね。
作中では、小説家を目指していた人なので、行状は結構なんだかね、
って感じの人なんですが…まあ吾一にとっては、一貫して尊敬する人でしたね。
吾一と次野先生とのやりとりは何だかほんわかしました。

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